ときどりの鳴く 喫茶店

時や地を巡っての感想を、ひねもす庄次郎は考えつぶやく。歴史や車が好きで、古跡を尋ね、うつつを抜かす。茶店の店主は庄次郎。

漱石山房・訪問記 

2018-11-12 16:40:46 | 神社・仏閣

高校Å組同級会・10/16


漱石山房・訪問記

その人の名は「半藤末利子」というらしい。そして、今日行った「漱石山房」の名誉館長だそうだ。

何故名誉館長なのか?気になったので調べてみた。以下の図である。



「漱石山房」は、同級会・飲み会前の散策の目的地であった。場所は、漱石が生誕し、東京で生活したときに暮らした新宿の周辺である。
最寄りの駅は、東西線「早稲田駅」・・同級生の中には、早稲田大・出身者もいるわけで・・若かりし時代の馴染みの場所だもという。神楽坂や牛込・山吹町にも近いわけで、学生さんたちの下宿やあそび場にも近いわけで・・多少馴染みの人もいるわけで・

「漱石山房」は、出来たまだ新しいそうである。新宿区が、地区の誇りとして記念館創設を尽力したという。

 
 

漱石は、言わずもがな「文豪」である。「文豪」であるが、なぜか、心に沁み込んだ文脈が思い浮かばない。思い出すのは「吾輩は猫である・名前はまだない・」みたいな自虐的なフレイズのみで・・作品タイトル名の羅列や文脈解析などは、かなり馴染んだ経験があった。受験対象として取り組んだ痕跡、悪しき習俗の残骸みたいなものなのだろう。それでも多少懐かしくもあり・・である。


 
さて、名誉館長の「半藤末利子」は、漱石の孫にあたる。半藤末利子の母は「筆子」で、この筆子が漱石の長女である、という図式。筆子の結婚した相手は、松岡譲といって「漱石の門下生」であり、二人が結婚するまでの経緯の中に、恋のライバルとして「久米正雄」という、やはり漱石の門下生がいたりして、その経緯の流れを小説に書いたりしていて、松岡譲も反論として小説を書いたりしている。
この流れは面白いのだが、僕は、「漱石山房」へ行くまで知らなかった。

 



半藤一利のことだが、文藝春秋編集長の彼のことは、良心的な硬派として、太平洋戦争の見方や天皇制に関しての見解に共感している。その人の奥さんが、漱石の孫だったことは、恥ずかしながら、ここにきて知ったわけでして・・
・・・・・
今日は、歯が病むので・「飲み会」は遠慮して・一人帰宅。


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