「松本」学、あるいは「松本」考:6
6:山家」の読み方
山家」の読み方
---・ 三年間住んだ里山辺の近くには美ヶ原温泉郷もあり
---・上っていくと、「山家城跡」というのがあります。ここらあたりから、入山辺」と言います
と、先に書いた。
この「山家」は、「やまや」と読むとばかりに思っていた。
里山辺を散歩中に、地元の人との会話で、この城跡は「やまべ=山家・城」だと知った。散歩中に、この会話がなければ知りえなかったことである。
山家城跡:写真
「山家」を「やまべ」とは、難読の極みである。松本が、城下町の体裁を整えて、人口を増やしてきた折、新参者は「山家」を「やまや」と読みえず、呼び名は習わしであることから、当て字の方を「山辺」と変えたのであろう。そして「山家城」の主の統治の領域は、里山辺、入山辺、三才山辺りであったのではなかろうか。そういえば、美鈴湖の地籍は、三才山である。
歴史書を読み返していると、小笠原家の内訌、諏訪大社三社(上社・下社・高遠)の内訌、戦国期の初期、‥‥山家城は、度々府中小笠原に攻められた。山辺一族は、諏訪神党であったようで、その度に「諏訪上社」の神党に助けられたが、とうとう小笠原長朝(文明年間)の時に滅ぼされます。以後、山家城は、小笠原の傀儡が城主を継ぎますが、諏訪神党とは関係がありません。