千曲川のうた

日本一の長河千曲川。その季節の表情を詩歌とともに。
人生は俳句と釣りさ。あ、それと愛。

干し柿をいただいた

2019年05月22日 | いただきもの歳時記
知人から干し柿を頂きました。



季節外れっちゃ季節外れですが、昨秋作って冷蔵してあったものです。



余所ではこんなことしないでしょうが、この辺では干し柿に胡桃を入れます。干しあがった柿を良く揉んでから蔕を取り、胡桃の実を押し込みます。独特の食感で、これが美味いんです。柿を干すシーズンになると、農協やスーパーの店頭に剥き胡桃が並びます。



このまま食べてもちろん美味しいのですが、私はヨーグルトに一晩埋めておくのが好きです。柿がとろとろになって、ウマイ!


さて話は変わるのですが、この自家製干し柿のような手の掛かった食べ物を見ると、私は「まて」という今はあまり使われない言葉を思い出します。

  黄鳥(うぐひす)のまてにまはるや組屋敷  一茶

1軒も漏らさず回っているというのでしょう。

日本国語大辞典で「まて」をひくと、「まじめなさま。律儀なさま。念入りなさま。ていねいなさま。」とあって、日葡辞書が「実直な」の意としていることを紹介しています。

信州方言かなあと思っていたのですが、もっと広く使われていたようです。

私個人の語感では、手を抜かず律儀に仕事をすることであって、およそ杜撰の反対語というニュアンスで受け取っていました。

柿一顆も無駄にせず収穫し、干して保存食にする。剥いた皮も干していろいろに利用する。例えばそれが「まて」です。

更に言うと、何かを無駄にするのは罪悪だという寒村の価値観の息苦しさのようなものも張りついていたかも知れません。褒め言葉であると同時に「けちくさいなあ」と揶揄する場合もあったように思います。

  田植歌まてなる顔の諷ひ出し  重行

「続猿蓑」所収。真面目な顔で歌い出したという意味なのでしょう。しかし私の経験した用例はみな仕事や動作に係わるものだったので、「まてな顔」には違和感があります。
もともと「真手」であって手作業にかかる言葉だったものが、精神的な方向へ抽象化されたのでしょうね。

なお重行の句については幸田露伴が「物類称呼」を引いて懇切に説明しています。篤志の方は露伴「七部集評釈」をご参照下さい。

秋に俳句会に行くと、「柿がたわわに実っているのに採る人もいない」という句を多く見ます。時代と言うしかありません。
私には1本の果樹もひと畝の畑もありませんが、いただきもので贅沢ができますから幸せなことです。


2017年秋、飯田蛇笏・龍太父子の旧居である「山廬」へお邪魔しました。百目柿でしたっけ、甲州の大きな柿が吊されていました。干し柿の話のついでに写真をお目に掛けましょう。



柿の左側に見える表札は「飯田龍太」。
柿の下に干されているのはズイキです。

  干柿に闇たつぷりと甲斐の国  橋本榮治