知人から蕨を頂きました。
すでにアク抜きしてあるので、すぐ食べられます。
以前頂いた時は、ナマの蕨にアク抜き用の灰が一掴み添えられていました。で、私は「次からはアク抜きして持ってきてくれ、何なら身欠鰊と煮たのでもいいよ」と図々しい注文をしたのでした。
とりあえず辛子醤油で食ってみましょう。
蛇穴を出てみれば周の天下なり 虚子
ずーーーっと昔の中国。武王は主君である殷の紂王を討って周王朝を建てました。この時、伯夷と叔斉の兄弟は武王の方針に反対し諌めました。しかし結局武王は戦いを進め勝利したのでした。
兄弟二人は周の天下で生きるのを恥として首陽山に籠もりました。ひきこもり生活での一番の問題は衣食住の確保でしょう。山には食糧が乏しく、二人は「薇」を食べてしのいでいましたが、やがて餓死してしまいます。その時作ったのが「采薇歌」です。
登彼西山兮 采其薇矣
以暴易暴兮 不知其非矣
神農虞夏 忽焉沒兮 吾適安歸矣
吁嗟徂兮命之衰矣
紂王の暴虐を討つといったが、結局武王も暴力を用いて勝っただけではないか。聖人が治める平和な世が望めないなら、我等はどこに行けば良いのか。武王に仕えて飯を食っていくくらいなら、山に隠れて山菜を食べよう。……てな意味でしょうかねえ。
「薇」を辞書で調べると「ぜんまい」ですが、この逸話を紹介する文献の多くは「わらびを食べていた」としています。
やせこけた死骸があると蕨取り(誹風柳多留)
むろん「ぜんまい」派もあるし、慎重に「山菜」としているものもあります。
ゼンマイと書いてあるのに何故ワラビになるのか?
どうやら日本では「薇」を「ぜんまい」にも「わらび」にも宛てていたんですね。そして本家中国ではこの字は野生のエンドウ豆を指すようです。
おそらく伯夷と叔斉が食べたのは野生の豌豆でしょうが、要は周の農産物ではないものというのがポイントであり、「薇」は山菜の代表として詠まれているのでしょう。だから日本では山菜代表のワラビという話になります。(以上は素人の憶説です)。
「采」の字義は「採」に同じ。ですから「采薇」は「山菜採り」くらいに考えれば良いのでしょう。
矢島渚男先生の第一句集は「采薇」でした。
題簽加藤楸邨、序文森澄雄、1973年刊。
「采薇」というタイトルについて森澄雄は、伯夷・叔斉の故事を思い出す人が多かろうが、自分はそんなかたい話より「詩経」の「草蟲」の詩や万葉集の志貴皇子の歌を思い出す、とし、
「明るい山国の春、また山国人の楽しみ、どこか相聞の歌ごゑのきこえる明るい集名であらう。」
と書いています。この「山国」とは、
故郷(くに)離れざるものわれと寒鴉 渚男
と詠まれた作者の生地である信州丸子町(現上田市)です。
この句集についてはいろいろ思うところがあるのですが、別の機会に整理を試みることとし、今は集中から数句を引いておきます。
木曽の簷道へあまりて雲雀籠 渚男
漉き紙のほの暗き水かさねたり
やはらかに雲結びあふ袋角
むらさきになりゆく二羽の青鷹
すでにアク抜きしてあるので、すぐ食べられます。
以前頂いた時は、ナマの蕨にアク抜き用の灰が一掴み添えられていました。で、私は「次からはアク抜きして持ってきてくれ、何なら身欠鰊と煮たのでもいいよ」と図々しい注文をしたのでした。
とりあえず辛子醤油で食ってみましょう。
蛇穴を出てみれば周の天下なり 虚子
ずーーーっと昔の中国。武王は主君である殷の紂王を討って周王朝を建てました。この時、伯夷と叔斉の兄弟は武王の方針に反対し諌めました。しかし結局武王は戦いを進め勝利したのでした。
兄弟二人は周の天下で生きるのを恥として首陽山に籠もりました。ひきこもり生活での一番の問題は衣食住の確保でしょう。山には食糧が乏しく、二人は「薇」を食べてしのいでいましたが、やがて餓死してしまいます。その時作ったのが「采薇歌」です。
登彼西山兮 采其薇矣
以暴易暴兮 不知其非矣
神農虞夏 忽焉沒兮 吾適安歸矣
吁嗟徂兮命之衰矣
紂王の暴虐を討つといったが、結局武王も暴力を用いて勝っただけではないか。聖人が治める平和な世が望めないなら、我等はどこに行けば良いのか。武王に仕えて飯を食っていくくらいなら、山に隠れて山菜を食べよう。……てな意味でしょうかねえ。
「薇」を辞書で調べると「ぜんまい」ですが、この逸話を紹介する文献の多くは「わらびを食べていた」としています。
やせこけた死骸があると蕨取り(誹風柳多留)
むろん「ぜんまい」派もあるし、慎重に「山菜」としているものもあります。
ゼンマイと書いてあるのに何故ワラビになるのか?
どうやら日本では「薇」を「ぜんまい」にも「わらび」にも宛てていたんですね。そして本家中国ではこの字は野生のエンドウ豆を指すようです。
おそらく伯夷と叔斉が食べたのは野生の豌豆でしょうが、要は周の農産物ではないものというのがポイントであり、「薇」は山菜の代表として詠まれているのでしょう。だから日本では山菜代表のワラビという話になります。(以上は素人の憶説です)。
「采」の字義は「採」に同じ。ですから「采薇」は「山菜採り」くらいに考えれば良いのでしょう。
矢島渚男先生の第一句集は「采薇」でした。
題簽加藤楸邨、序文森澄雄、1973年刊。
「采薇」というタイトルについて森澄雄は、伯夷・叔斉の故事を思い出す人が多かろうが、自分はそんなかたい話より「詩経」の「草蟲」の詩や万葉集の志貴皇子の歌を思い出す、とし、
「明るい山国の春、また山国人の楽しみ、どこか相聞の歌ごゑのきこえる明るい集名であらう。」
と書いています。この「山国」とは、
故郷(くに)離れざるものわれと寒鴉 渚男
と詠まれた作者の生地である信州丸子町(現上田市)です。
この句集についてはいろいろ思うところがあるのですが、別の機会に整理を試みることとし、今は集中から数句を引いておきます。
木曽の簷道へあまりて雲雀籠 渚男
漉き紙のほの暗き水かさねたり
やはらかに雲結びあふ袋角
むらさきになりゆく二羽の青鷹