人生夕暮れ時のつ・ぶ・や・き

12年ぶりでブログ再開!!
ボケ防止の一助になればと・・・
日々の想いをつづります

南イタリア旅行⑦ ローマⅡ

2006-11-29 | 旅行
荘厳な雰囲気のサンピエトロ大寺院を後にして、時代はさらに遡り西暦80年に誕生したコロッセオへ・・・
ベェスヴィオ火山が爆発したのが79年だから、大体同じころということになる。
このコロッセオの写真は、歴史の教科書には必ず出てきたので、馴染みのある建物であり、観光都市ローマの
象徴的な存在である。
バスを降りると、コロッセオが目の前に迫ってくる。
およそ5万人を収容したという円形闘技場は、4階建てで高さ48.5メートル、周囲527メートルというから、かなりの大きい建物である。

300年もの間、市民を熱狂させた流血スペクトルの舞台
「剣闘士の戦い」や世界中から集めたゾウやトラ、ライオンなどの猛獣と闘う「猛獣狩り」が催された場所・・・
驚くことに闘いは必ずや死をもって幕を閉じることだったという。
上から見ると、地面がない状態になっていて、当時の地下の構造がわかる。
立体迷路のような部屋の跡が剥き出しになっており、この地下の部屋は、剣闘士や猛獣の檻、武器の格納庫になっていたという。
ここで多くの奴隷や動物たちが、命を落とし、多くのローマ市民が熱狂して見物を楽しんだというから、なんとも言えない複雑な心境の感動を覚える。

続いて人気スポットの観光地
「トレヴィの泉」へ泉を取り囲むように観光客やカップルで賑わっている。
それほど広くはない広場にポーリ宮殿があって、その前に泉の守護神「ネプチューン」と左右の壁面にはそれぞれ女神像を配し、豊かな泉と一体感をもたせてある。
建築家ニコラ・サルヴィの設計で1762年に完成したバロック芸術の傑作であるという。
泉を背にして、コインを投げ入れる場所として有名な場所です。
コインを後ろ向きに1枚だと再びローマへ来ることができ、2枚では結婚することができ、3枚の場合は離婚できるのだそうです。私はここは2度目の訪問で、前回はコインを1枚投げ入れた覚えがある。
こうしてまた訪れることが出来たということは、ご利益があったということなのだろう 
今回はまあ秘密ということに・・・・
泉の側にあるお店のジェラートがおいしいと聞き、みんなで食べる・・・ホントおいしかったぁ~ 
真ん中でジェラートを2個持って、ぱくついているのは、わが夫です。

さらにスペイン広場へ
17世紀までここにスペイン大使館があったので、そう呼ばれるようになったという。
バスは近くには止められず、少し歩いていくと、高級ブティックなどが建ち並ぶ路地を抜けたところに、広場がある。
映画『ローマの休日』でアン王女がここでアイスクリームを食べたシーンで知られている。
階段前の広場には、小さな船の形をした噴水がある。
10月だというのにローマはかなりの暑さ・・・、涼を求める人で賑わっている。
137段の階段の上にそびえているのはトリニタ・デイ・モンティ教会である。
階段には大勢の人が腰を下ろしていたが、その間を掻き分けるようにして上を目指す
上からは市街が一望できるようになっている。
途中、階段に腰掛けてアン王女をまねてみたりして雰囲気を楽しむ
それにしても今日は「暑い」 
ここローマは日本では青森あたりの緯度にあたるというのに、何でこんなに暑いの~~

その後ランチを取り、午後からはいよいよ、自由行動です。
 

南イタリア旅行⑥ ローマⅠ

2006-11-25 | 旅行
ブログの更新をできずにいた。
実はかわいがっていた我が家のペットの猫が亡くなってしまったのだ。
16歳、人間にたとえたら、80~90歳ぐらい・・・老衰だと思う。
涙は止まらず、気持ちは落ち込むばかり・・・・
改めて、ペットの存在感の大きさを感じるばかりです。

気を取り直して、ようやくイタリア旅行記の更新です。

10月23日(月)

          
いよいよ、ローマの観光です。
3000年の歴史を持ち、古代ローマ時代、ローマの領土は遠く、イギリスから、北アフリカ、スペイン、トルコにまで
および、古代世界のほぼすべてがローマ帝国であった。
町全体が巨大な美術館のようなローマ
さもそこにあるのが当然のように遺跡が、町のあちこちに点在している。
道路は石畳で交通量がとても多い。
信号は青が短く、その後に続く黄色が長いが、みんな黄色になってもゆうゆうと渡っている。
ローマでの観光客は交通事故が一番多いらしい。見て納得です。
又、スリがとても多いと聞かされ、パスポートはホテルの「セーフティボックス」へ・・・バックはたすきがけ、お財布は奥の方へと、スリ対策も万全です。
午前8時、バスで出発
カトリックの総本山「サン・ピエトロ大聖堂」に到着です。
初代ローマ教皇聖ペテロが殉教した地に建てられたカトリック教の大聖堂です。
直径240mの回廊に囲まれた円形の大広場には、昨年4月8日におこなわれたヨハネ・パウロ2世の葬儀の際、信者約30万人で埋めつくされたという。
ローマの中心地でありながら、ここはれっきとした世界最小の独立国、「バチカン市国」です。
広さが440平方メートル、人口は1千人、最も小さい独立国家に最も偉大な教会が存在し、バチカン市国の象徴となっている。
また貴重な芸術品の宝庫でもあり、なによりもカトリック信者にとっては最も聖なる場所なのです。

入口の前にはもう長蛇の列です。30分くらい並んでようやく入場です。
入口付近では手荷物検査も行われた。

この建物、4世紀にローマ皇帝として、初めてキリスト教に改宗したコンスタンティヌス帝の命令で着工された。
16世紀にミケランジェロやラファエロ、ベルニーニなどの一流の建築家、芸術家が技を結集させて完成したという。
まずあまりの規模の大きさに圧倒・・・豪華で派手な雰囲気は、さすが、カトリックの総本山です。
床から壁から天井から……と、隙間がないくらいに装飾が施されている。
大聖堂の一番奥には、黄金の光が差し込み、その下には1666年ベルニーニが製作した彫刻が見どころの「聖ペテロの椅子」が祭られている。
天蓋のある主祭壇、床や壁、天井までに描かれた絵や装飾などなど・・・、
ただ圧倒されるばかりです 
カメラには収めきれない広さ・・・高さです。




入ってすぐ右手にあるガラスケースの中には、ミケランジェロの作品、ピエタ像がある。
聖母マリアが十字架から降ろされたキリストを抱きかかえている像です。
このガラスケースの前は、人だかりができていた。
ガラスケース越しですが、本当に美しい顔をしたマリア様です。
内部では熱心にミサでお祈りしている姿も見受けられた。

続いて古代の公共競技場である「コロッセオ」に向かう 

南イタリアを旅行して⑤ ポンペイの遺跡

2006-11-18 | 旅行
ポンペイの遺跡はナポリから30キロ、おおよそ30分で到着
ヴェスヴィオ火山の噴火により、一瞬にして、灰に飲みこもれた悲劇の街・・・
今年の5月東京渋谷で「ポンペイの輝き展」を見て、そこで暮らしていた人々への、思いが募り、今回の南イタリアを旅行した要因にもなった。
この場に立てたことに「やっと・・・来れたなー」とうれしい思いも交錯する
小窓をマウスオン

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ヴェスヴィオ火山
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公共広場
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裏通り
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ジュピター神殿
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アポロ神殿




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ここでポンペイについてチッョト復習
ポンペイはローマ帝国時代に栄え、神殿、公衆浴場、商店、劇場などが居並らび、水道や舗装道路なども整備、ローマ人の保養地にもなっていたという。
79年8月24日午前、ヴェスヴィオ山が大爆発を起こし火砕流が発生、死者は約2000人から1万人以上とされている。
人口は2万人前後だといわれ、多くの人は逃げたが、火山の被害の怖さを知らなかったり、家財調度品、貴金属、金銀などを運び出すために逃げ遅れ、犠牲となった人も多かったという。
「ポンペイの輝き展」で見た装飾品の数々はすばらしいものだっただけに、そうした訳も納得できる。
その後、降り続ける火山灰が積もり積もって、街を埋もれさせた。
そのため、死者は死んだままの姿で灰の中に埋もれ、肉体が朽ちた後もその空洞は残った。
埋もれた街は人々から忘れ去られ、1600年以上もの間、眠り続けることになる。
1709年、今から約300年近く前、一人の農夫の偶然のきっかけで街が発見される。
その後組織的な発掘が開始され、公共建築や住宅の跡が発見された。
肉体が朽ちた後に残った空洞に石膏を流し込み、ポンペイ市民の衣装、装身具をまとったままの姿が再現され、息を引き取ったときの苦悶する表情までリアルに甦らせている。顔を覆った状態で座りこんだ石膏像はとても生々しい。
ここでもまた現地ガイドさんの説明を聞きながら、2時間にわたり主要な公共物を見て回る。
まず最初にマリーナ門をくぐると、トップの写真「マリーナ通り」にでる。
街のメーンストリートであり、車道と歩道が別になっており、なんと丸い大きな渡り石を置いた横断歩道までもがある。

公共広場、浴場、パン屋、神殿などの遺跡が点在する中で、説明を聞きながら、街と命運を共にした人々のことを想う。
その中にも、ファウノ家はローマ将軍の甥の家とされ、中庭もあり、装飾的なタイルが施されており、当時の優雅な生活を想像させるものだった。
また一方、娼婦の館があり、昔から変わることのない生の人間の営みが壁画としてリアルに表現されていることに驚く。
1900年も昔の都市でありながら近代的な機能を備えていたこと、また現代人となんら変わることのない人々の営みがあったことは、とても興味深いことです。

そんな平和な暮らしをわずか1日で崩壊させたヴェスヴィオ火山の怒り。
最初雲に隠れていたヴェスヴィオ山も途中からもその全容をみせてくれた。
中央がくぼんでおり、その真ん中が噴火によって飛ばされ、2000mの山が1300mの山になったという。
皮肉にも自然災害により、灰に埋もれたからこそ、こうして、1900年前にタイムスリップすることが出来たことを不思議に思う。

遺跡観光が終わると、ローマに向かって245キロ、3時間半に渡ってひた走る・・・
ヨーロッパの旅はバスでの移動時間がとても長い・・・
バスの中では疲れも重なり、全員・・・爆睡です。
ローマ到着は8時過ぎ
本日のディナーは中華料理でしたぁ~
でもはっきり言ってまずかったぁ~
何でイタリアに来て、中華料理なの・・・と内心ぶつぶつ
そしてホテル到着はやはり、午後10時頃
明日は最後の観光地であるローマの市内観光です。


南イタリアを旅行して④ カプリ島

2006-11-13 | 旅行
10月22日(水)
昨夜だいぶ強く雨音が聞こえていた。いよいよ、今回の旅行の目玉「青の洞窟」に行く日だというのに・・・
やはり「青の洞窟」を見るのは・・・だめかな~と内心思う。
でも朝、起きたら雨は上がったもよう・・・ひょっとしたらという思いも
昨夜10時過ぎにホテル到着だったのに、今日の出発は7時45分と早い!!
8時過ぎ、ナポリ港へ到着
すでに港内は観光客でいっぱいです。
「青の洞窟」が見れるか、見れないかは、カプリ島に到着した時点でわかるという・・・
要するに最後まで期待を持たせようという配慮のよう
8時半頃、乗船
かなり大きい船、500人くらいは乗っているのでは・・・かなり船が揺れ、私たちは大丈夫だったが、
ツアーの仲間で酔った方も数人いた。カプリ島まで所要時間は45分です。
        マウスオンでどうぞ!!

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ナポリ港
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カプリ島1
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カプリ島2
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カプリ島3
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カプリ島4




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到着してまもなく・・・「今日は波が高いので、入ることは出来ません」
あ~あ・・・・やっぱり、残念  無念 
一応、洞窟の前まで行くという。また小さな船に乗り換え、洞窟の入口へ・・・
入口は本当に小さい!! 1メートルぐらいなら入れるというが、それ以下だと無理らしい
入られないことに納得です。
       
カプリ島は、ナポリの南30キロに位置し、ナポリ湾に浮かぶ島の一つです。
断崖絶壁に囲まれた風光明媚な島で、この景色は古くより、皇帝や貴族などに愛され、瀟洒な別荘が立ち並んでいる。
なんといっても「青の洞窟」が大人気なのです。
仕方がないので、せめて絵はがきでも購入し、眺めるしかありません 
中は、外からは予想もできない数十メートルの広大な空間が広がり、水中に伸びている穴を通して水面から洞窟全体が紺碧の光を帯びて、この世のものとは思われないほど神秘的な雰囲気だという。

上の絵はがきのように、真っ青に見えるのは年間40日位とのこと・・
4~5日滞在してようやく見れた方もいるというから、あきらめるしかありません
その後ケーブルカーでカプリ島の街の中心地「ウンベルト一世広場」へ
しゃれたカフェやブランド店などのシヨッピング街が続いている。
さらにスゥエーデンの医師が建てた館「ヴィラ・サン・ミケーレ」の別荘へ
そこのテラスからの眺めがとてもすばらしい
岩場がそそり立ち、地中海の海の色がとてもきれいです。
ここはレモンの産地で有名、
レモンチョコレートなどをおみやげに買い求める。
今日のランチは「ピザ」
本家、本元のビザはさすがにおいしかったぁ~
そして、ナポリ港へ船で戻る。
ここでちょっとハプニングが・・・
港のバスターミナルで待っているはずのバスと運転手さんがいない?
えっ? どうして・・・添乗員さんがあわてて、携帯で連絡を取る
運転手さんの実家がソレントでここから1時間半くらいのところだという
しばらくぶりで実家に帰りたくなり、昼食を食べに行ったという・・・「帰れソレントへ」いう歌の通りに帰ったという笑えない話です。
ところが帰り道に昨夜の雨で一部片側通行となり、渋滞して、約束の時間まで戻れないのだという・・・公私混同、日本ではチョットありえないことですよネ
ということでナポリの港で1時間半ほどただ待つことに・・・
添乗員のSさん、申し訳ないといってBR(喫茶店みたいなところ)で飲み物のサービスしてくれましたネ
そして午後2時半頃、ようやく午後の観光地「ポンペイの遺跡」へと向かう

南イタリアを旅行して ③ マテーラ

2006-11-09 | 旅行
アルベロベッロから1時間ほどでマテーラに到着
イタリアを足にたとえたら、ちょうどアキレス腱の辺りに位置している。
マテーラ
そんなところ、聞いたこともないこのツアーに参加するまで、まったく知らなかった・・・
あまり期待もしなかったのだが・・・まったく意外・・・想定外なところだったのです。

ここイタリアでは、団体の観光には必ず、そこの現地ガイドさんが説明をする。
入場券などはそのイタリアのガイドさんでなければ購入できないらしい。
国の雇用対策の一環となっているようだ。
現れたここのガイドさんは、英語での説明・・・それをツアーの添乗員さんが通訳するというややこしさです


マテーラの始まりは、旧石器時代で、今日まで約7.000年の間 この場所で人々が暮らして来たという。
洞窟は住居として使用され、文明が発達するにつれ、岩場の外にも住居を拡げるように築かれていったのがマテーラだという。
白石灰の岩山に築かれた洞窟住宅群を「サッシ」といい、1993年に世界遺産に登録される。
サッシ街はかなり広範囲で、起伏のある道路を登ったり、下ったりして歩く。
斜面にへばりつくように建つ家々は、これまでに見たことのないような雰囲気の
感じられる街並みです。
写真では洞窟の外に張り出して地上の建物を作っているので、あまり洞窟らしく見えないが中は意外と広く、壁は白で石灰岩を削って部屋を広げていった様子がよくわかる。
夏には、40度近くとかなり暑くなるらしいが、洞窟内は涼しいという。
下の写真が洞窟住宅「サッシ」の内部だが、同じ洞窟住宅であるトルコのカッパドキアよりは、かなり住宅らしい造りとなっている。
     

かつてこのサッシ住居は南イタリアの貧しさの象徴として軽蔑され、衛生的とはいえない狭い部屋のなかで家畜と一緒に暮らした時期もあったという。
1950年ごろから、政府の方針により強制移住させられ、廃墟と化したが、近年、歴史的価値が見直され、整備が進められるとともに、又戻ってきて生活している住民もいるという・・。

マテーラの洞窟住宅?と聞いて、余り期待もしなかったが、いやいや・・・すごいスケールです
人間の工夫ってすごい
旧石器時代から、延々と人間の営みが続いてきたこん跡に、いやがおうでも、悠久の時の長さ、人間の知恵のすごさを感じさせられるのです 
そしてバスは 257キロ離れたナポリへ・・・
ナポリは南イタリア最大の都市、近づくにつれ、夜景がとてもきれいです
ここは治安があまり良くないので、夜の外出は控えるようにとのアドバイスです。
3時間半ほどかけ、8時過ぎ、ようやくナポリのレストランに到着です。
本日の夕食はリゾット  
ホテルに入ったのは、10時少し前・・・ツアーはやはり強行軍です

南イタリアを旅行して ② アルベロベッロ

2006-11-05 | 旅行
10月21日(土)
朝8時半、歩いてアルベロベッロのトゥルリの街並み観光へ
最初に高台より、街全体を眺める・・・
朝日に輝く白いトゥルリがすがすがしく、とてもすばらしい眺めです。

イタリアはその形からして、よく長靴にたとえられるが、ちょうどかかとの辺りに位置するところに、
世にも不思議なとんがり屋根の家々が並ぶ、アルベロベッロの街がある。
石灰岩を積んで造った円すい形の屋根と美しい白壁を持つこれらの家は「トゥルリ」と呼ばれてる。
わずか450メートル四方の土地に1500軒ものトゥルッリが密集し、歩いていると・・・、
まるでおとぎの国に迷い込んだような気分です 

アルベロベッロは15世紀から17世紀にかけてこの土地に移住してきた貧しい農民たちが作った街だという。
石を積んで、周囲に漆喰を塗って作られたトゥルリは、1996年に世界遺産に登録され、今でも多くの人が暮らしているという。
壁の厚さは20センチもあり、外気温の影響を受けにくく、夏の気温は40度にもなるが、中は外気温との差が20度にもなり、建物の中に入るとひんやりするという。
暑くて乾燥した土地に適した建物ともいえるのではないかと思う
街の中心部のトゥルリは両側にずらりとおみやげもの屋さんとして並んでおり、一軒づつ・・・のぞきながら買い物を楽しむことができた 



そんな街の一角にテレビ朝日の「ポカポカ地球家族」で取材もされたこともあるという「ようこの店」がある。
14年前に観光でこの地を訪れ、ついにはイタリア人と結婚・・
現在はおみやげもの屋さんを開いている。
お店兼住宅として、住んでいるこのトゥルリは400年前の建物とのこと・・・キッチン、居間、寝室など、生活のスペースも見せてくださった。
なかなかステキにお住まいしてましたヨ
大変お話上手な方でその面白い話につい、聞きほれてしまう  
でもすごいネ 観光に来て、嫁いでしまうなんて・・・人生まさにいろいろなんですネェ~



2時間ほどかけて、街の中を散策の後、昼食は名物の「オリキエッテ」です。
オリキエッテとは、耳の形をした、ここアルベロベッロ名物のパスタです。
しこしこと歯ごたえのある食感で、なかなかにおいしいものです 

昼食の後大体1時間かけ、66キロ離れている次なる観光地、セピア色の町「マテーラ」に向かう 

南イタリアを旅行して ① カゼルダ宮殿

2006-11-01 | 旅行
成田集合が午前10時、地方の片田舎である酒田から当日出発では間に合わない 
地方に住んでいるということは、こういうときにとっても不便
前日のお昼ごろに自宅を出発、「日航ウィンズ成田」に前泊です。
ネットで予約、さすが日航・・・広々とした室内でとても快適~
余談だが・・・その後に泊まったイタリアのホテルよりずっと立派
まあ・・・格安ツアーだからしょうがないけど・・・

10月19日(木)
12時成田空港発、アエロフロート・ロシア航空にて、モスクワ乗り継ぎでローマに向かう。
機内のスチャワーデス・・・日航や全日空などとは、まるで違う
かわいい娘さんなのだが、ニコリともしない
笑うのは損だといわんばかりの対応です。
やはり社会主義国時代の対応がすっかり身についているということなんでしょう
乗り継いだモスクワ空港
荷物や身体の検査がまたとても厳しい
靴も脱いでボディチェック・・・
それにロビーもなんとなく陰気な雰囲気・・・やはり明るくてきれいな成田空港にはかなわないと・・・実感です。
現地時刻20時、ローマ空港に到着、時差が7時間、日本時間で午前3時頃です。
ホテルに直行、すぐにベットに入る

10月20日(金)
イタリア、ローマでの第一日目、天気はです。
朝7時半にホテルを出発し、ローマから200キロ離れているカゼルタへ

ヨーロッパ最大の王宮のひとつカゼルタ王宮は、ベルサイユ宮殿をまねて
1753年から、スペイン・ブルボン王朝のカルロス3世の命により建てられ、
天才建築家バンビテッリー一族により建築がはじめられ、完成まで約30年の歳月を費やしたという。
たて247メートル、奥行き147メートルの大きさの中に1200もの部屋数があり、
庭園は片道3キロメートルもあるという。
の写真は庭園から、見たカゼルタ宮殿とはるかに続く庭園です。
向こうに見える噴水は1キロ先にあり、とても歩いて見る時間はなかった
ホントにベルサイユ宮殿と見まごうばかりの豪華さ・・・1997年に世界遺産に登録されたという。

特に入口はすべて大理石でできており、ピンクがかったとても美しい色です。
そしてその彫像がすばらしい
謁見の場など、権勢を誇示するためでしょう・・・とてもきらきらとした派手な作りになっている。
一方居室などプライベート部分は割りと落ち着いた色調です。

そして12時半、イタリアでの初のランチはラザニアです。
イタリアではいつも前菜(チーズ、パスタ)メイン(肉や魚)デザートの順で出されることが多かった。
イタリアでの「食」についての考え方だが、生きるための食事ではなく、食事を楽しみ、会話を楽しみ、
おいしければなおさら結構・・・・というものらしい
昼休みは3時ごろまでと長く、その間お店を閉めることもあるという。
一般の人は出来れば、仕事は楽をして稼ぎたい!仕事に生きるなんて考えられないこと 
バカンスは最低2週間、学校は3ケ月もの間夏休みだという
だいぶ日本とは考え方が違うようです・・・

本日の観光はカゼルタ宮殿のみ・・・
後はひたすら、さらに318キロ離れたアルベロベッロに向かう。
イタリアは高速道路(アウトストライダー)が整備され各都市が結ばれている。
夕刻、おとぎの国「アルベロベッロ」に到着です。