「大人の休日切符」を使って二日目は、都内美術館めぐりを・・・・
最初に上野 国立博物館で開催されていた「大徳川展」へ
徳川御三家の秘宝を一堂にかいして見ることが出来るということで、楽しみにして出かけました。
10時少し前に到着、そんなに待つこともなく入館することが出来ました。
中はとても混雑していて、係官が「止まらないで、ご覧になってください」と大きな声を出して、呼びかけをしています。
でもなかなか動かなくて、なかなか前には進まないのです。
最初は徳川家が実際使われたという鎧、兜がずらっと並んでいました。
家康の鎧は、傷跡などもあり、戦いの激しさを連想させるものでしたし、時代とともに戦がなくなると、より装飾的なものに移り変わっていったようです。
まるで芸術品 とてもすばらしいものでした。
こんな芸術的できれいなものをつけて、戦をしたとは・・・武家社会のひとつの美学だったのでしょう
お城の中で日常使われたという、御所車、調度品、書など多くの美術品をみることが出来ました。
最後には和宮が降嫁されたときの婚礼のための道具が並べられていて、その華やかなこと・・・
目を凝らして、眺めましたよ~
12時過ぎに外に出たら、入口には長蛇の列・・・2時間待ちとのことでしたネ
私たちは早くに到着したので、あまり待つこともなく入ることが出来て良かった・・・早起きは三文の徳でしたネ
その後同じ上野にある東京都美術館で開催されている「フィラデルフィア美術館展」にも足を運びました。
フィラデルフィア美術館はアメリカの中で、中世から、ルネサンス、現代絵画にいたるまでの膨大な美術品の収集で知られています。
今回は印象派と20世紀の美術がテーマで、ルノアール、モネ、ゴッホ、セザンヌ、マティス、ピカソなど・・・
時代を追って観賞することが出来ました。
そして少し強行軍かなーと思いましたが、この後「国営昭和記念公園」にも出かけたのです。
到着が3時、閉園は4時半とのこと・・・アチャー1時間半しかない ・・・受付のおじさんから、「最低、2時間なきゃー、全部は見られないですよ」と言われてしまいました
。
仕方がありません・・・チヨット時間配分を間違えてしまいました・・・・急ぎ足でまわる回るしかありません
なるほど国営・・・・とてもとても広くて、ビックリしました。
日本庭園では紅葉がとてもきれいでした。
その様子をPIXIEでまとめてみました。
ゆらゆらしながら、画像が出てくるこの演出が好きで、一度やって見たかったのです。
前回も一度UP仕掛けたのですが、その時開くのにあまりに時間がかかりすぎるもので、やめてしまいました。
最近、皆さんのブログを見てて、そんなに時間がかからないようでしたので、今回、PIXIEを使ってみました。
最近、いろんな技を使うことは少なかったのですが、久しぶりの新しい技!
出来るとやはりうれしいものですね
大きな写真をクリックしてください。7枚の画像が入っています。
閉じるときは黒い画面左上の×をクリックしてください
帰りには、出口を探すのに、一苦労・・・・締め出されたらどうしよう
とっても焦りましたが、何とかぎりぎり出ることが出来ました。
後ろから、姉がひいひいしてついて来ました。
「お姉ちゃん、急がせてゴメンナサイ、それに付き合ってくれてありがとう」
姉の家に戻り、バタンキュー 昨日よりさらに疲れた感じぃ~~~でした
疲れたなんていられない・・・明日はいよいよ3日目、「松本城」を見に・・・・
そして帰りは、姉とは高崎で別れて、我が家に帰ることになるのです。
その様子はまた後日に・・・
少し話は遡りますが、24日に親戚の結婚式、25日の日曜日には、六本木の新国立美術館に出かけ、日展を見てきました。
「大人の休日倶楽部切符」は26日~28日までの3日間でしたので、この日は切符を購入しなければなりません。
今回初めて、SUICA機能のついている「大人の休日倶楽部クレジットカード」に3000円チャージして、改札口をタツチー・ゴーで乗りました。
切符を買う手間も省けるし、この便利さに、ただ感心しきり・・・田舎でこれを利用する機会はまずありません・・・
都会人になったような気分でしたヨ
こんな単純なことにも喜ぶ田舎もので~す
黒川紀章氏の設計によるという新国立美術館・・・曲線美の建物もすばらしかったが、作品の数の多さ、力作ぞろいに圧倒されました。
気に入った作品の前では、しばしたたずんで眺めて来ました。好きな絵の絵はがきはもちろん買って来ましたヨ~~。
少しはテクニックをまねすることが出来たら・・・それは無理でも何らかの栄養になったのでは・・・と思いたいですネ。
そしてもう一箇所、新宿にある「損保ジャパン 東郷青児美術館」で「ベルト・モリゾ展」にも出かけました。
当時印象派では珍しかった女性画家の絵です。
前から、画集など見たりして、この方の絵が好きだったし、又その女性の人生にも興味があったのです。