ついに当地もコロナ感染者が急増、自粛制限地域になってしまった。
特に出かける予定のところとてないので、困ることはないが、気分は落ち込み気味。
以前、叔母がまだ元気だったころ、口癖にしばしば言っていた。
「歳はとりたくないネー」と
私もどうも新年になってから、急に年取ったような感じで、叔母のことを思い出すのです。
「そう・・・歳はとりたくない」と同じ言葉を繰り返したくなる。
一週間前くらいから、親指を曲げ伸ばすと痛い。
ばね指みたいです。親指を特に使った覚えはない。
老化・・・?だね。きっと
卓球の仲間に話したら、同じような悩みを持つ人がいて・・・
「最近前より痛くなってお医者さんで、注射をしてもらったら、痛くなくなった」って言っていた。
でもね・・・指くらいでお医者さんには行きたくないし、まずは様子を見るとしようかな。
でも親指って何をするにしても使うのよね
今はどこにも出かけられない。
コロナがなくても、今は体力、気力もないし、海外はおろか、国内でも迷ってしまう。
それでは・・・せめて思い出に生きなきゃーと
アルバムをめくっている。
姉とは、海外旅行にはよく行った。安いツアーばかりです。
今、姉とはラインで、旅行中いろいろにあったハプニングを思い出したり、写真を送ったりしている。
共通の話題があって良かったと思っている。
今国立博物館で特別展「ポンペイ」が開かれている。
15年くらい前になるけれどツアーでイタリア旅行に行った。
ツアーコースの中にポンペイがあった。
これが現地で買ってきたガイドブックです。
紀元79年にベスビィオ火山が爆発、まち全体が6メートルもの
火山灰、火山礫に埋もれ、その悲劇の瞬間、暮らしぶりを閉じ込めたまま
1800年余り時が立ち、今から200年前に奇跡的に世に表したということです。
発掘された現地の様子です。正面に見えるのがベスビィオ火山です。
同じ場所を専門家が実際あったであろう当時の風景を絵で再現したものです
このガイドブックは同じ場所を二枚重ねて見られるようになっている。
紀元後まもなくとは想像できないほどの建造物、考えた以上の生活レベルなど、
驚きをもって現地をみてきた。
当時は馬車で利用されていたようだが、
車輪も通れるように工夫された渡り石の横断歩道があったり、
亡くなった体に石膏を注入して当時を再現したものは、あまりにリアルなもので衝撃を受けた。
当時人口 1万人くらいと言われている。
とても広い遺跡で、今でも発掘は継続されているらしい。
そのポンペイ展が今、東京で開催されており、そのあと京都、仙台を巡回するようです。
東京に行くには、ちょっと勇気がいる。
仙台で7月16日から開催されるようなので、思い出・・・再びと!!
行ってみようかなって思っている。
でもね
現地で本物の遺跡を見たんだもの・・百聞は一見にしかず、本物の臨場感はないと思う。
でも貯蔵品は間近で見ることができるということだから、いろいろ振り返る意味でも
足を運ぼうと思っている。
この写真を見たのがきっかけで、今海外旅行の写真を見て懐かしんでいる。
でも写真整理は、ずいぶん前にしたので、ずいぶん少なくなっているのです。
大体一割くらいしか残っていないが、思い出としては十分のようです。
残された写真はこのまま残すつもり・・・
あとは残った人に託すしかないよネ
特に出かける予定のところとてないので、困ることはないが、気分は落ち込み気味。
以前、叔母がまだ元気だったころ、口癖にしばしば言っていた。
「歳はとりたくないネー」と
私もどうも新年になってから、急に年取ったような感じで、叔母のことを思い出すのです。
「そう・・・歳はとりたくない」と同じ言葉を繰り返したくなる。
一週間前くらいから、親指を曲げ伸ばすと痛い。
ばね指みたいです。親指を特に使った覚えはない。
老化・・・?だね。きっと
卓球の仲間に話したら、同じような悩みを持つ人がいて・・・
「最近前より痛くなってお医者さんで、注射をしてもらったら、痛くなくなった」って言っていた。
でもね・・・指くらいでお医者さんには行きたくないし、まずは様子を見るとしようかな。
でも親指って何をするにしても使うのよね
今はどこにも出かけられない。
コロナがなくても、今は体力、気力もないし、海外はおろか、国内でも迷ってしまう。
それでは・・・せめて思い出に生きなきゃーと
アルバムをめくっている。
姉とは、海外旅行にはよく行った。安いツアーばかりです。
今、姉とはラインで、旅行中いろいろにあったハプニングを思い出したり、写真を送ったりしている。
共通の話題があって良かったと思っている。
今国立博物館で特別展「ポンペイ」が開かれている。
15年くらい前になるけれどツアーでイタリア旅行に行った。
ツアーコースの中にポンペイがあった。
これが現地で買ってきたガイドブックです。
紀元79年にベスビィオ火山が爆発、まち全体が6メートルもの
火山灰、火山礫に埋もれ、その悲劇の瞬間、暮らしぶりを閉じ込めたまま
1800年余り時が立ち、今から200年前に奇跡的に世に表したということです。
発掘された現地の様子です。正面に見えるのがベスビィオ火山です。
同じ場所を専門家が実際あったであろう当時の風景を絵で再現したものです
このガイドブックは同じ場所を二枚重ねて見られるようになっている。
紀元後まもなくとは想像できないほどの建造物、考えた以上の生活レベルなど、
驚きをもって現地をみてきた。
当時は馬車で利用されていたようだが、
車輪も通れるように工夫された渡り石の横断歩道があったり、
亡くなった体に石膏を注入して当時を再現したものは、あまりにリアルなもので衝撃を受けた。
当時人口 1万人くらいと言われている。
とても広い遺跡で、今でも発掘は継続されているらしい。
そのポンペイ展が今、東京で開催されており、そのあと京都、仙台を巡回するようです。
東京に行くには、ちょっと勇気がいる。
仙台で7月16日から開催されるようなので、思い出・・・再びと!!
行ってみようかなって思っている。
でもね
現地で本物の遺跡を見たんだもの・・百聞は一見にしかず、本物の臨場感はないと思う。
でも貯蔵品は間近で見ることができるということだから、いろいろ振り返る意味でも
足を運ぼうと思っている。
この写真を見たのがきっかけで、今海外旅行の写真を見て懐かしんでいる。
でも写真整理は、ずいぶん前にしたので、ずいぶん少なくなっているのです。
大体一割くらいしか残っていないが、思い出としては十分のようです。
残された写真はこのまま残すつもり・・・
あとは残った人に託すしかないよネ