人生夕暮れ時のつ・ぶ・や・き

12年ぶりでブログ再開!!
ボケ防止の一助になればと・・・
日々の想いをつづります

一年遅れて開催のパッチワーク展

2021-04-24 | Weblog


パッチワーク教室を開いて20年以上にもなる友達がいる。
彼女とは同じ勤務先だったが、彼女の勤務地が他地区だったので
一緒に働いたことはないが、研修会でたびたび一緒になlり
その後東京での1週間の研修の際も二人が一緒だったのです。

20代後半のまだうら若き頃の話です。
研修が終わるのは午後5時・・・そのあと、毎日都内をほっつき歩いた。
新宿などもフラフラ・・・今考えると、その頃は若き乙女? 
何も知らない東北の田舎からでてきたのだもの・・・
危険だったのかも・・・ と今にして思う。

それ以来彼女とは意気投合・・・50年来の付き合いです。
3年に一度くらいは一緒に国内旅行にも出かけた・・・
小さい子供を置いてです・・・
お互い夫の理解があったからこそと・・・今になって感謝です。
退職後は海外にも出かけたりもした。

彼女はだいぶ前から、退職後はパッチワーク教室を開きたいと
前々より教室に通っていた。
50歳くらで退職、ほどなく教室を開き夢を実現させた。
彼女の実行力には脱帽です。
とても面倒見の良い穏やかな性格の持ち主・・・
数年前には東京ドームでのキルト展にも入賞している実力です。
彼女の住む近くで開催される教室の作品展にも毎回おじゃましている。

今でも常に前向き思考!!
月一回、当市におられる人気のS先生のパッチワーク教室に通っておられるのです。
そんなS先生の仲間のパッチワーク展が市美術館の市民ギャラリーで開かれている。

彼女が当番の日に出かけた。
まず入口で体温チェック、記名してようやく入場、
今はどこも厳戒体制ですネ
いつもとっても人気で入場者が多いんだけど・・・コロナ禍のご時勢、
いつもより入場者の方が少なかったように感じる。
彼女の作品をアップ  思わずほんのりした気分になる・・・
35 個のお花の刺繡が入り、とってもかわいい
お孫さんへの思いの詰まった力作です。



昨年開催のはずだったパッチワーク展、一年後ようやく開催された。
はて・・・さて・・・
この後、私たちの行動はどう変わっていかざるを得ないのでしょうか



10か月遅れの三山ひろしコンサート

2021-04-17 | Weblog


昨日、三山ひろしコンサートを楽しんできた。
昨年6月開催予定だったコンサートが10ケ月遅れて開催されたのです。
とっても楽しいコンサートでした。
最近は、旅行も催しもコンサートも中止の連続、
どこにも出かけることがなかったので、
久しぶりに笑顔満載のひと時を過ごすことが出来たのです。

コロナが全国各地で第4波が広がりつつある中・・・
開催はどうなるなるのかなーと気をもんでいた。

幸い当市のコロナ患者はここ1週間で2名で済んでいる。

冒頭、三山さんが今年のコンサートは5回目ですとおっしゃっておられた。
まさか・・・たった5回なんてと信じられない思いだった。
帰ってからネットでいろいろ調べたら、開催予定のコンサートが
ほとんど開催延期、中止が多かったのですヨ

よくぞ酒田で開催できたなーと関係者の皆様に感謝の思いです。

入場までもちろん厳戒体制・・・
体温チェック、住所と名前、電話番号を記入の座席指定メモの提出・・・
しかしながら・・・座敷の間隔を空けることもなく・・・指定座席に座ることが出来たのです。
少し心配 
前後、左右、二階席まで満席・・・
指定席は12列ながら、番号は舞台の真ん中の位置でした。
おめでたい人間の私は、
自分が三山さんから、話しかけられているような気分でしたヨ

高知県出身の三山さんですが、思い出深い故郷の曲から始まり
昭和の歴史を振り返りながらの昭和のヒット曲、
彼のヒット曲のオンパレード、今年の新曲「谺」まで、熱唱が続いた。
この内容は三山さん自身が企画したとのことだった。
話術もとても巧み・・・自然で人柄の滲み出たものでした。

今、コンサートの開催が少なく、フアンとのふれあいが限られた機会になっている中、
三山ひろしさん自身がこのコンサートをとても楽しんでいるように感じられた。

久しぶりで夫婦でのコンサートを楽しんだ。
これから何回できるんだろうなと・・・とふと思った。

観客は高齢の方が多かった。
前の座席のご夫婦の方、特にご主人、だいぶ高齢の方のようでしたが、
時々こぶしを振り上げたり、左右に振ったり・・・本当に楽しそうにしていた。
見ていてもほほえましいお姿でした。

久しぶりでの、生のコンサートはとっても楽しむことが出来たのです。




幼いころ身近にあった「おしんの世界」

2021-04-11 | Weblog
橋田壽賀子さんが95歳でお亡くなりになった。
テレビでのいろんな特集を見て、
ほんとに惜しい人がまた一人この世からいなくなってしまったと感じている。
決して戦いのシーンは書かなかった・・・身近な家族の様子を書いたと・・・

特に「おしん」は当地山形を舞台にしたドラマだった。
何度もおしんが奉公に出される最上川の船での再現シーンに、
昔のことが懐かしく思い出されるのです。

私の実家は農家でした。実は地主だったようです。
私は昭和19年生まれだから、その当時の生活の様子は全くわからない。
戦後地主制度は廃止になり、一農家となった。
農作業など、一切しなかった父も母も戦後はだいぶ苦労したと聞いている。
私の上には兄二人、姉が二人いる。
兄、姉にはそれぞれ子守りがいたみたい・・・私の知らない世界です。
そう・・・おしんちゃんの世界、そのものですよね。
その方たちが、お盆のときなど来てくださることがあった。
すると姉が「昔・・・私の子守りだったのよ」と懐かしそうであった。

他に「めらし(家事をする人)若勢(農作業が主)」がいたらしい。
家族のほかに若勢、めらし、子守りがいた大家族だったようだが、
私の記憶には全くない・・・・
戦後ではあるが、小さいころ友達の家に遊びに行って・・・
その住まいの貧しさ、寒さに、驚いた記憶は今でもある。

つまり・・・おしんの世界は終戦後もしばらく続いていたということなのです。
「おしん」のドラマは昔・・・近くで見てきたし、聞いてきた話なのです。
原体験の思い出もあり・・・山形が舞台とあっては、
私にとってはいくつになってもナンバーワンのテレビドラマなのです。

そう・・・いろんなことがあったのですよネ
このコロナ禍で生活を見直す、考えを変えるきっかけになったら・・・
とそんなことを思っている。





歯医者さんでのメンテナンス

2021-04-07 | Weblog
昨日は3ケ月ぶりでの歯医者さんです。
この歯医者さんへはもう20年ほど通っている。
ずっと定期点検を受けてきた。
今はコロナで厳重警戒の診療体制である。
診察を受ける前には薬剤でのうがいもあった。
1年の間に歯のレントゲン、カメラでの撮影、フッ素の塗布が年1回ほど・・・
歯茎のポケット検査は毎回チェックしてくれる。
今回、ポケット4が一つあったが、他にポケットはなかった。

歯は全部で28本、あるとのことだが、
80代で20本の歯が残っている8020が目標と言われている。
私、80代まであと3年だけど、なんと27本が残っているんだって・・・
被せた歯などは何本かあるが、入れ歯はない 
でもなぜか1本少ないのよね。別に隙間も空いていないし、抜けた記憶もない。
歯科衛生士さんからは、8020は間違いなしですネ・・・と
お褒めをいただいている。
歯は健康に、とっても大事ですよネ。
これも歯科医の先生と歯科衛生士さんのおかげですヨ

ずっと真面目に通ったおかげでもあるかな( ^ω^)・・・
歯みがきは特に熱心な訳ではない。一日2回、朝食と夕食後の2回です。
電動歯ブラシは20年以上前から使っている。
これって便利ですよ。
面倒くさがり屋の私でも、きっちり磨けているんだから!
歯磨き粉は40年も前から「クリーンデンタル」です。
他の歯磨き粉では歯を磨いた気がしない
すっきり感が違うんですヨ

ところで私・・・部屋の模様替えが好きなのです。
それも夜になると・・・アイディアが浮かぶ!
夜10時過ぎにゴソゴソ( ^ω^)・・・
朝になって変わっているということもしばしばだった。
息子からはあきれられた。
夫はまた、始まったとあきらめ顔

2日前にまたレイアウトを変えてみたので、ちらりとUPです。
いつまでこのままか、私としてもちょっと自信がない
またそのうち・・・気が変わるかも( ^ω^)・・・