勝手に思うままに 榊原秀光のブログ

日頃 思っていることや感じたことを思うままに書きます。

勝手に思うままに 26

2009-12-10 08:17:43 | 平和
 「事あらば敵陣に、あるいは敵艦に向かい自爆せよ、私もかならず行く」藤井中尉は陸軍航空士官学校を卒業後、熊谷陸軍飛行学校に赴任し、中隊長として少年飛行兵に精神訓育を行っていた。その後、特攻作戦が開始され、自分の教え子たちが教えのとおり特攻出撃していく事となってしまった。あの純粋な教え子たちが次から次へと特攻出撃していく中、自らも特攻に志願した。しかし、妻と幼子二人をかかえ学校でも重要な職務を担当しており、断られても2度も特攻に志願していた。妻、福子さんは夫を説得しようとしましたが、藤井中尉の決意は最後まで変わらなかった。 夫の決意を知った福子さんは、二人の幼子を連れて飛行学校の近くにある荒川に身を投げた。次女千恵子ちゃん(1歳)をおんぶし、長女一子ちゃん(3歳)の手と自分の手をひもで結んだ3人の痛ましい遺体が発見された。その遺書には「私たちがいたのでは後顧の憂いになり、思う存分の活躍ができないでしょうから、一足お先に逝って待っています」という意味のことが書かれていた。藤井中尉はこの事件の直後、3度目の特攻志願を行った。今度は自らの小指を切り、血書嘆願であった。今度ばかりは軍も諸般の事情から志願を受理した。それから約5ヶ月後、パイロットではない藤井中尉は、小川少尉の操縦する機に通信員として搭乗し、隊員10名と共に沖縄に向けて飛び立ちました。そして、『われ突入する』の電信を最後に妻子の待つ黄泉の国に旅立ちました。終戦の僅か2ヵ月半前のことでした。

勝手に思うままに26 娘への手紙

冷え十二月の風の吹き荒ぶ日
荒川の河原の露と消し命。母と共に殉国の血に燃ゆる父の意志に添って、一足先に父と殉じた哀れにも悲しい、然も笑つてゐる如く喜んで、母と共に消え去つた、幼い命がいとおしい
父も近く御前達の後を追つて行けることだらう
厭がらずに今度は父の膝に懐でだつこして寝んねしようね
それまで泣かずに待つてゐて下さい
千恵子ちゅんが泣いたらよく御守しなさい
では暫く左様なら
父ちゃんは戦地で立派な手柄をたてて御土産にして参ります
では
一子ちゃんも千恵子ちゃんも それまで待つて頂戴

 知覧の特攻平和会館で心に突き刺さり、子を持つ親として、とても考えさせられました。 2度と起こしてはならない戦争。いろいろなことを伝承していく責務が私たちにはあります。 広く深く伝えて行きたいと心から思った次第です。