夏季休暇を利用して初めて日光に行ってきました。
定期観光バスを利用して名勝めぐりをしてまいりました。
日光東照宮の陽明門が寛永時代の装飾技法により昨年3月に修理を終え
一番いい時期(ガイドさん曰く)に来たとのこと、日光も記録的な猛暑と
いうことでした、が、赤とんぼが季節を忘れず飛ぶ姿は、少し涼しげな
気持ちにさせてくれます。
さて、教員応援団のつづきです
この研修会のメインでもあります。我が師、上甲晃氏の講演会です。
勝手に思うままに 99 情熱 2
過去に上甲氏の講演は幾度となく拝聴しています。
その都度、情熱に火を燈され「よし、やるぞ」とやる気満々で持ち帰る
のですが、年と共に情熱の熱は冷める時間が日ごとに早くなるばかりで、
あの時の情熱は何処へ
講演の内容は、松下幸之助翁(松翁)から得た教えをわかりやすく、ま
た、涙あり、笑いありで会場は大いに盛り上がっています。
松翁の生い立ち、松翁との出会い、教え、そしてその教えを今に伝える
松翁が経営の神様と言われる経営の成功の理由は3つあると言う
一つは、学歴がなかった。松翁は、父親の米相場の失敗で小学校4年生で
中退し、丁稚奉公に出されます。わからないことは、とにかく聞いた。
周知を集めると表現していますが、聞く耳を持つということが要因であった。
一つは、貧乏であった。丁稚奉公で最初にいただいた小遣い(給与)は、
5銭、普通の家庭に育っていればたった5銭かとなるのですが、お金のな
い家庭に育った松翁はその5銭がすごくありがたく、「よし、明日からも
っとがんばろう」と思った。その時の思いをずっと後の経営に生かしていった
一つは、体が弱かった。7人兄弟の6人の兄弟は若くして重い病に亡くなり、
松翁も若くして結核を患いますが、働かなくてはお金がないそんな中、会社
を創業、しかし体はうまく動かず人の力を借りての経営が後の会社の発展に
大きく寄与した
と、熱く語る。
つづく
定期観光バスを利用して名勝めぐりをしてまいりました。
日光東照宮の陽明門が寛永時代の装飾技法により昨年3月に修理を終え
一番いい時期(ガイドさん曰く)に来たとのこと、日光も記録的な猛暑と
いうことでした、が、赤とんぼが季節を忘れず飛ぶ姿は、少し涼しげな
気持ちにさせてくれます。
さて、教員応援団のつづきです
この研修会のメインでもあります。我が師、上甲晃氏の講演会です。
勝手に思うままに 99 情熱 2
過去に上甲氏の講演は幾度となく拝聴しています。
その都度、情熱に火を燈され「よし、やるぞ」とやる気満々で持ち帰る
のですが、年と共に情熱の熱は冷める時間が日ごとに早くなるばかりで、
あの時の情熱は何処へ
講演の内容は、松下幸之助翁(松翁)から得た教えをわかりやすく、ま
た、涙あり、笑いありで会場は大いに盛り上がっています。
松翁の生い立ち、松翁との出会い、教え、そしてその教えを今に伝える
松翁が経営の神様と言われる経営の成功の理由は3つあると言う
一つは、学歴がなかった。松翁は、父親の米相場の失敗で小学校4年生で
中退し、丁稚奉公に出されます。わからないことは、とにかく聞いた。
周知を集めると表現していますが、聞く耳を持つということが要因であった。
一つは、貧乏であった。丁稚奉公で最初にいただいた小遣い(給与)は、
5銭、普通の家庭に育っていればたった5銭かとなるのですが、お金のな
い家庭に育った松翁はその5銭がすごくありがたく、「よし、明日からも
っとがんばろう」と思った。その時の思いをずっと後の経営に生かしていった
一つは、体が弱かった。7人兄弟の6人の兄弟は若くして重い病に亡くなり、
松翁も若くして結核を患いますが、働かなくてはお金がないそんな中、会社
を創業、しかし体はうまく動かず人の力を借りての経営が後の会社の発展に
大きく寄与した
と、熱く語る。
つづく
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