種山壮(shuzanso)NY

ラスベガス編

元資産家姉妹孤独死

2011年01月11日 | 徒然

「原左都子エッセイ集」ふと目に入ったブログ。一読して気になり、回を重ねるたびにすっかり気に入ってしまった。なるほど、そうかなあー、うむーん、してやったり、と毎回興味深く読んでいる。「原左都子エッセイ集」には筆者の人柄、人生観がにじみ出てる。筆者はどのエッセイか不確かだが次のように書いてる。『もの書きを生業としない一般庶民が何故に一銭もならないエッセイを綴って日々ネット公開しているかと言えば、それはまさに私なりの“上昇志向”故であるからに他ならない』実に筆者らしい言葉である。

 

“上昇志向”の「種」は風に乗って旅にでてニューヨークで根付き成長しつつある。人は、本気の人の姿に心を奪われ、共感者となる。

 

大阪元資産家姉妹孤独死について

 

この姉妹はきっと親の庇護を受け何不自由なく「お嬢様」として育てられたのだろう。だが20年ほど前、父母が相次いで亡くなり2人だけで暮らしていたいう、その後の2人がどんな生き方をしたのかは知る由も無いが、「お嬢様」は館(やかた)(親、財産、資産など全てを称して)があって生きられ存在だと思う。館が無くなったらただの人、それでも生きる力、知恵があれば問題ないだろうし、こんな悲劇もおこらなかっだろうと悔やまれてならない。

 

この問題はこの姉妹に限った事ではないだろう。何時わが身降りかかってくるかも知れない。生きる力、知恵とは何だろう。今の世とは限らずいつの時代でも問題が起こっても冷静に考え、人生に怯むことなく立ち向かっていくことではないかと思う。

 

「原左都子エッセイ集」でよくコメントされるドガさんが次のようなことを書いておられた。この3点は競争社会、能力主義の強いこの米国で生きていくに必要かつ重要なことなのである。

 

周囲の人間を思いやれる。

目標を掲げられる。

社会に貢献する意思を持つ。

 

周囲を思いやらなければ仲間はずれになり、目標を掲げなければリーダーとしての資質が疑われ、社会に貢献できる「公人」としての意思が無ければ尊敬もされない。私の2人はNY生まれであるが学校教育を通していつの間に完璧とはいわないが、これらを身に付けていったような気がする。競争、能力主義の社会だからこそ生きる力が(わたしは勝手に自助能力といってるがー)自然に付いてくるのもしれない。