聖書のことばから  デボーション

聖書のことばから気づかされたことをつづっています。

医師 中村哲さんのドキュメンタリー映画を観て

2023-09-06 09:35:02 | 日記

 先日、益子のいくつかの地域の会主催で「荒野に希望の灯をともす」という医師 中村哲さんのドキュメンタリー映画が上映されました。中村さんはアフガニスタンとパキスタンで35年以上にわたり、現地の人々の医療に関わり、また戦乱と干ばつが続く地域に現地の人々と共に井戸を掘り、川から用水路を建設し、人々が農業で生活が出来るように働いた方です。想像を絶する試行錯誤の繰り返しと、実現したときの地域の人々との喜び、これらの資金を募るための日本での講演活動、そして彼の次男の病と死、彼の凄まじい人生がこの映画に詰め込まれていました。彼のこれらの行動の根底にある思いは「平和の実現」ではないかと思わされました。映画には出てきませんが彼はクリスチャンでしたので教会でも公演活動をし、多くの方々が日本から彼の活動を支援していました(ペシャワール会)。中村さんはクリスチャンであっても現地の人々の宗教・文化・教育のためにイスラム教のモスク建てました。ふと、欧米の宣教師が同じことをしようとして公共事業、教育事業を現地に投入したら、キリスト教の教会を立てたのではないかと思いました。おそらく彼は一人の人間として、宗教を超えて苦しんでいる人々のために尽力されたのではないかと察し、それはインドでのマザー・テレサの働きが思い起こされます。

 だれでも平和を願います。しかし、ある人は人の命を犠牲にして、自分の利益を求めます。大概が権力やお金がある人々が利害の衝突で戦争を起こし、武器が必要なので武器を作り、それを売るためにまた戦争を起こすという繰り返しです。このような世界的・構造的問題に私のような小市民が声を上げても、大海の一滴なのかと悲観的になることもあるでしょう。しかし、私はキリストを信じる者として、キリストの言葉を信じ、キリストがもたらす平和を信じて祈り続けたいと思います。

 私は人間同士の平和の前に、自分自身と神様との平和があるかを問題にします。私たち人間は生まれながら、人間を創造された神様と戦争状態、神様に敵対している者だからです。つまり神様の存在を否定し、誰も教えなくとも自分中心に生き、他の神々を神とする、あるいは自分自身が神かのように傲慢にふるまう人もいるかもしれません。そんな状態から救うために、神様は御子イエス・キリストをこの世に送ってくださいました。彼によって、キリストを信じる人と神様との間に和解がもたらされ、平和を得られるためです。目に見えない神様との平和を持つ人は、目に見える人間との平和を持とうと導かれるでしょう。たとえ利害関係があっても、キリストの愛に倣い、謙遜に話し合いで解決しようとする、歩み寄ろうとすることが信仰者には求められるからです。自分自身は自己中心的なものですから、日々神様に悔い改め、自分の周りの人々との平和を願っていきたいと思います。小さな集団の中での平和も広がっていけば、いつか大きな平和につながっていくことを信じていきたいと思います。

「このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、 このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。」ローマ信徒への手紙5章1節  (引用 新共同訳聖書)


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