カメラを片手に

修二会でも昼は閑な東大寺鐘楼ヶ丘

今朝の奈良の最低気温は9.5℃、通りで毛布を押しのけていたほどでした。
日中は23.2℃と上がり、半袖でもよいぐらいの気候になりました。
だが明日の朝は雨模様、南からの暖湿な大気が入り、今朝よりも高い13℃と
予報され、体もですが、服装選びが大変ですね。
      10時、17.7℃、55%

12日の昨夜は東大寺二月堂から籠松明の火の粉が降り注ぎました。
      毎日新聞より拝借

そして未明には若狭井から香水が汲まれましたね。
そして15日の未明、1271回修二会本行も無事全て終わります。
奈良にも春がやってくるはずが、一足早く春本番の暖かさに。

二月堂した広場を下りれば、鐘楼ヶ丘とも呼ばれるエリア、東大寺大仏殿を
背景に、豪壮な東大寺鐘楼を囲むように三つの建物があるのだが、忘れさら
れているかのように、参られる姿を見ることはほぼない。

東大寺鐘楼」の梵鐘は752年の大仏開眼と同時に鋳造され、高さ3.86m、
口径2.71m、重さ26.3tの大鐘で「奈良太郎」とも呼ばれる日本三大名鐘の
一つで、国宝に指定されている。
鐘楼は平重衡の南都焼討で焼失後、1210年頃の東大寺鎌倉復興時に「栄西」
により再建された。
太い組物、反りのある屋根が、大鐘を吊るすにふさわしい建物です。


反時計回りに「念仏堂」、「行基堂」、「俊乗堂」
念仏堂」は寄棟造で鎌倉時代は地蔵堂と呼ばれ、江戸時代に屋根を改修、
堂内には丈六(4.85m)の地蔵菩薩立像(1237年、仏師康清、重文)を祀る。

隣の「行基堂」は方一間、円柱、本瓦葺、頂上に宝珠の載せる宝形屋根の
江戸時代初期の建物で、蟇股が面白い。
元は俊乗房重源上人座像があるも、今は廬舎那大仏の勧進役「行基」さんの
「行基菩薩坐像」が祀られ、1728年に仏師腎慶が竹林寺の旧像を模すと。
非公開となるも、格子戸の小さな覗き窓から拝め、大仏殿を向く

水子地蔵尊、湯屋へ下る石段、そして五輪塔の片割れがひっそりと。
      

入母屋造の「俊乗堂」で、以前は「浄土堂」と呼ばれるも消失。
1180年の南都焼き討ちで鎌倉初期の東大寺再建に尽くされた俊乗房重源上人
の遺徳を讃え、公慶上人が元禄期1704年に建立。
再建された大仏殿が70%と小さくなり、行基さんに恥ずかしいとして
行基堂と大仏殿の間に建てられたという逸話も伝わる。
堂内には仏師快慶作が二体、国宝「重源上人坐像」と重文「阿弥陀如来立像」
そして「愛染明王坐像」重文で、平安末期と古く貴重な像もあり、隠れた
仏像の宝庫です。なお公開は7月5日と12月16日のみと。


東大寺大仏殿の甍へと下れば、土産物屋があり、
      

馬酔木が咲く石段・猫段を下りる。
    

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