山頂342m、紅葉は見頃を過ぎても、もう人の姿が見えます。
その右の御蓋山298mでは鮮やかなようで、奈良公園は見頃かも?。
11時
10月中旬に二回に渡り、奈良町が生んだ奇豪・吉村長慶の石造物を訪ねた。
吉村長慶の略歴と造った石造物の一覧です。
一日目10月16日は徳融寺~御霊神社~元興寺塔跡~十輪院で、
二日目10月23日は南円堂~NHK奈良隣~上長慶橋~長慶寺門前
~長慶寺教示石碑~下長慶橋~韓国神社・林神社に。
最初に興福寺境内へ
南円堂の南側・延命地蔵尊との間に、「諫鼓鶏(かんこどり)石灯」があるが
廻りを覆う火袋や笠石等が行方不明で諫鼓鶏だけが残っている。
*「諫鼓鶏」とは、善政であるため諫鼓を鳴らす必要がなく、
上に止まっている鳥も逃げないという意味に。
境内を通り、県庁南側、NHK前の西側の小さな
お店の駐車場横にも長慶が造らせた諫鼓鶏石灯が・・・
奈良女子大学の正門前への道にくると、長慶に関係ないが、
12月17日の春日若宮おん祭のお渡り式の出発点「初宮神社」
そして暗渠になった吉城川が流れ込む佐保川あたりに『上長慶寺橋』
長慶さんが大正12年に長さ6m、幅3.5mの白い花こう岩で造られたが
昭和28年の台風13号で流されてしまい、親柱だけが残されている。
佐保川沿いを下ると下長慶寺橋に。大正12年に造られるも昭和8年に流され、
橋桁跡だけが残る。石材は長慶寺に一部残るらしい。
佐保川内提に残る『三聖人礼拝碑』で大正12年作製されている。
キリスト、孔子、釈迦の三聖人が大御神(太陽)に合掌する図で
刻文は「みんなこの大御神に合掌礼拝せよ」と
宇宙教典も刻まれている。
その東脇に大仏鉄道が奈良駅まで延伸された折の
橋脚跡、さらに10mほどに現在の橋に付け替えられ
橋中央から佐保川の向こうに若草山が望める。
北に向かう直ぐに大仏鉄道駅跡が大仏公園になる。
さらに200m程で一条通でホテルリガーレ春日野、その脇に
万葉歌碑と共に『興福院(こんぶいん)』の石碑があります。
更に200m程で興福院の入口に。浄土宗知恩院派の尼寺で、令和を記念し
20年振りに六日間だけ公開されていたが、現在は予約のみです。
歴史に道を西へ100mほど進むと右に『長慶寺』の門前なりますが、
明日にして、長慶寺を参拝して奈良駅まで戻るのですが、最後に
もう一か所、近鉄奈良駅西側の「漢国(かんごう)神社」内にある
「林神社」で、室町時代に中国から渡来し饅頭の製法を伝えた
「林浄因」が祀られ、4月19日の春の大祭には全国から菓子業者が
集まり、饅頭も振る舞われます。
なお昭和24年に創建された新しい神社ですが、経緯は不詳だが
この横にも長慶さんが造られた戎さんと大黒さんの碑がある。
向って左は銛を置き、慶長小判を手に胡坐をかいている。
長慶は宇宙教に加えて、晩年に夫婦円満・和楽を説くようになり
「所感あらば蔵自から満つ。ここに戎大黒を刻み和の貴きを信者に教ふ
時昭和十五年吉村長慶七十八歳」と添え書きされている。
境内に饅頭、いやカリンの実がたわわに実っていました。
カリンの花言葉は「唯一の恋」だそうで・・・
本当に良く歩きましたが、吉村長慶さんという奇異な方がこの奈良に
おられたことを知ることができました。明日は「長慶寺」を。
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