◯◯◯ですから。

いいやま線とか、、、飯山鐡道、東京電燈西大滝ダム信濃川発電所、鉄道省信濃川発電所工事材料運搬線

オークションの写真より(下平付近)

2022-05-10 20:53:19 | 鉄道省信濃川発電所材料運搬線
ヤフオクで「信濃川発電所」と検索すると、信發材料運搬線の古い写真が引っ掛かる。
お値段もそこそこするので私には手が届かない。しかし、サンプル画像からでも当時の様子が一部判断できるので紹介したい。


Yahoo!オークションより https://auctions.yahoo.co.jp/

当該オークションのURLはリンク切れになろうから、ここでは引用しない。ヤフオクで「信濃川発電所」と検索すると出て来る。
この画像で注目したいのは、背景の鉄構と鉄塔だ。googleのストリートビューで千手発電所附近を見る。





特に分かりやすいのが鉄塔だ。今も当時と変わらぬ姿で鉄塔が立っていることが分かる。
また、変電設備の鉄構の位置も一致している。位置が一致している。そのため、当時の写真が撮影されたのは千手発電所の放水路の信濃川側であることが分かる。

この時点でオークションの説明の「小泉」は誤りであることが推定される。私の推定が正しいなら、「下平」や「千手発電所」とでも書く方が正確だろうと思う。
しかし、私が言いたいのは誤りの訂正ではない。私が言いたいのは、オークションに出されている写真が当時の下平の辺りを写していると同定した点であり、その当時の現地の様子が分かる点だ。

撮影アングルはおおそよ以下のようになる。

 
左のモノクロ写真は国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスよりUSA-R446-27から切り出した。右のカラー写真はgooglemapsの航空写真から切り出した。

私が感動しているのは、写真から今は放水路の前の水田が広がる土地にかつては線路が敷かれて車庫があったと分かるからだ。今の風景からは一切その痕跡を感じる事もできない。しかし、古い写真を通してそこに確かに材料運搬線はあったことが実感として合点がいくようになる。「材料運搬線はあります!」と、今まで調べてきた情報が新たに得た情報と繋がった時に私は喜びを感じる。その判断材料として、当時から今に至るまで現存する鉄塔が一役買っているのだ。

 
今も鉄塔が同じ場所に立ち、送電を担う。

USA-R446-27は昭和22年の撮影だ。一方のオークションに出品されている写真は昭和29年の撮影とある。昭和29年には軽便機関車も役目を終えていたことが伺える。なお、昭和23年には三期工事が再着工され、昭和27年に小千谷発電所が發電を開始した。また、昭和29年は千手発電所5号機の発電開始や魚沼線の改軌工事が行われていたような時代である。つまり、その頃には十日町駅からの材料運搬線による資材輸送もすっかり影を潜めていたものと推測される。

なお、別アングルの写真が 国鉄狭軌軽便線1 臼井茂信 に掲載されているので引用する。


臼井茂信(2019).国鉄狭軌軽便線1 草原社 pp.43.  枕木のウマに乗せられたケ166号 写真:瀬古龍雄


臼井茂信(2019).国鉄狭軌軽便線1 草原社 pp.43.  形式ケ160 ケ166号 信濃川工事事務所下平 1954.10.3 写真:瀬古龍雄

上の写真のウマの下を見て欲しい。ここも三線軌条だ。千手発電所に引き込まれる線路ではないにもかかわらず、三線軌条だ。どこまで三線軌条だったのかの興味は尽きない。なお、同書によれば、ケ160形は各地に配置された後に上越線建設などを経て、信濃川に集結した8両が在籍していたとある。更に同書によるとそれら8両のケ160形は昭和29年8月16日付達448号で一斉に除籍された。そのため、ここに紹介した当時の写真は既に除籍後の写真と言える。