◯◯◯ですから。

いいやま線とか、、、飯山鐡道、東京電燈西大滝ダム信濃川発電所、鉄道省信濃川発電所工事材料運搬線

鐙坂へ続く線路か?

2023-08-31 01:28:40 | 鉄道省信濃川発電所材料運搬線
小千谷発電所公開でパネル展示されていた写真を観察する。



浅河原調整池と連絡水槽の写真だ。調整池には水が湛えられ、本施設が完成した頃の写真と思われる。
なお、工事中ではなく完成後の写真だからと私が適当に撮ったことが分かるように、説明文を入れていないので撮影時期が手元で分からない。昭和20年代かと思う。
今回、この写真を紹介したのは、手前の斜面に注目したからだ。私は撮影した時には気が付かなかったが、家に帰って後日確認したら、そこに線路が写っていた。

 

この写真から、もし写っている線路が軽便線のものだと仮定したら、軽便線の線路はほぼ現道と同じ位置に敷かれていたと言える。
かつて、軽便線は小泉から浅河原調整池の上流、鐙坂を経て宮中まで続いていたとされる。小泉から浅河原川を渡るまでの軌道跡は残っており、過去にこのブログでも現地の様子を紹介したことがある。一方、浅河原川の右岸部、つまり浅河原川を渡って鐙坂の集落までの軌道の位置は不明瞭だった。現道もそこそこ急な坂であるから、鉄道的にはより難所になり得る地形だと思われるという背景もある。
実際、どこに線路を通したのかと現地の地形や連絡水槽工事時の斜面の写真を観察することで推測してきた。そして、軽便線の線路は現道上にあったと考えてきた。今回、この写真を見た事で、その推測はより現実に近いものになったと考えている。



更に線路部分を拡大する。
今でも、この線路が軽便線の線路かどうかは私の推測に過ぎない。撮影時期が浅河原調整池の湛水後であるから、既にここより信濃川上流部の各施設の工事は完了している時期である。つまり、例えこの線路が軽便線の線路だったとしても、既に工事資材等の運搬という本来の役目を終えて数年経っている状態と言える。
私は、道に当たり前のように鎮座する軽便線の線路という光景が生きていた線路を感じられて好きな景色だ。また、やはりここに線路が敷かれていたのではという私の推測を後押ししてくれるものだったことから、少し自分に都合のいい推測となっているかもしれない。なお、最後の写真に写っている連絡水槽へ降りていく道は現在も施設へのアプローチ道路として使用されている。また、小屋の立っている平場もそれらしき場所が残っている。おおよその地形は現在と変わっておらず、そんなところも過去を想像しながら現代と結びつく点があって楽しい。
他に情報があれば、随時更新していきたい。

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