自転車おやじのカリフォルニアゴールデン日記

ゴールデンレトリバーのジュリーのblogから、ロードバイクのブログへと衣替え。トライアスロンとサーフィンについても少し。

故郷に対して募る想い

2015-09-15 13:01:07 | ゴールデン
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実は、ちょっと自分の故郷に対する想いが募っている今日この頃です。というのも、うちが契約しているアメリカの日本語放送TV Japanで、このNHK大阪放送局制作のドラマを見たからです。


経世済民の男「小林一三」



小林一三とは、阪急電鉄、宝塚歌劇団の創設者です。彼がすごい実業家で、阪急電鉄、阪急百貨店、宝塚歌劇を作った人だという事は知っていたのですが、実際にどのようにして、阪急電鉄を創業したかは、今回このドラマを見て、初めて知りました。


阪急電鉄は、当初、「箕面有馬電気軌道」という名前の会社でした。私の故郷は、大阪府箕面市。当時のこの小さな鉄道会社の終点駅の1つの小さな街です。


私が育った昭和の世代でさえ、箕面市と言えば、相当な田舎。大阪市内の高校に通い始めた時は、「ああ、あのサルの箕面から来てんのか。大変やなぁ。」とよく言われたものです。実は、この箕面市、野生のニホンザルが多数生息するので有名。今でこそ、かなり山奥に追いやったようですが、私が子供の頃は、箕面一の観光名所、「箕面の滝」を目指してやってくる観光客のお弁当を狙い、よく人間を襲ったものです。


私の小学校の友達も、遠足のお弁当をサルに取られて泣いていたのを覚えています。


これが、箕面の滝、今でも箕面に帰ると必ず一度は箕面の滝まで走りに行きます。





よく明治時代に、こんな大阪の北の端の小さな街まで、鉄道を引こうとなど考えたものですね。でも、実は、沿線の宅地開発と抱き合わせで開発して行くという、現在の電鉄会社経営のモデルのような事業のやり方だったようです。


ただし、宅地開発だけでは電鉄会社の経営を軌道に乗せるのは難しかったようで、もう1つの終点駅、宝塚に歌劇場を作ったり、今では大きなターミナルとなっている梅田駅に、阪急百貨店を作ったりと、斬新的なアイデアをいくつも考え出し、阪急電鉄の経営を軌道に乗せていったようです。


このドラマを見て、つくづく小林一三は本当の天才だと思いました。滅多に出てくる人物じゃないですね。


私の育ったこの箕面という街、今振り返ってみると本当にいい場所です。特に私の育った家は、目の前に箕面川が流れ、すぐ近くには大きな竹藪がありました。これは今でも全く変わりません。


家の前の箕面川では、鮒をつかみ取りしたり、プール代わりに水浴びしたりして遊び、竹藪では防空壕でかくれんぼしたりして遊びました。でも、今から考えると当時の箕面川は相当汚く、よくあんなところで遊んでいたなぁと思います。最近は、川に下水が流れないので、相当水はきれいですが。


こう書くとすごく田舎のように聞こえますが、実は大阪市内まで行くのもそう遠くなく、大阪の北の中心部、梅田まで30分くらいで行けます。だから、あまり田舎で育ったという感覚はないですね。


この箕面で大学に入るまで育ち、その後は帰省の時以外は箕面で暮らすことはありませんでした。


1か月前に中学の同窓会で長年会っていなかったたくさんの友達と再会し、昔の思い出がどんどん鮮明に蘇って来ました。そして、このドラマを見て、ずっと忘れていた色んなことをさらに思い出しました。


いや~、本当にいい場所で育ったなぁと、両親に感謝する気持ちと共に、何か妙に感傷的な気分に浸っている今日この頃です。



さて、コイツはそんな飼い主の思いなど、つゆ知らず。





一応日本語も理解しますが、アメリカ生まれ、アメリカ育ちのJulie子です。まあ、コイツが日本の地を踏むことはないでしょうね。ちょっと悲しいけど。


では。