技術開発という業務も頑張って成し遂げて一息つく間もなくもっと高いハードルを用意される。これって営業と同じ。相手が人か自然法則かの違い。
ま、営業のように相手の感情の喜怒哀楽に振り回される事がないのは少し楽なんだろうけど。技術紹介する相手の企画とか営業さんの中には原理原則不可能なことを要求したり、ほっとけば勝手に技術が進むと勘違いしている人も居る。技術はニーズがあって改良することで進む。その間不完全品を消費することは技術への投資というと技術者のおごりか。
だが、妥協というか高次元でのバランスと言い換えるか別にして、開発途上のモノはそれで満足するしかない。むしろそこから使いこなし方を提案していくことが企画・営業の仕事だ。最近はそれも技術に求めているが、それでは企画・営業の仕事は何か?単に出来たモノを紹介するだけだったら使い走り(笑)。
ポータブルオーディオで例えてみよう。初っ端はウォークマンで今はiPod。企画屋はiPodを夢見たか??コンセプトさえなかっただろう。それは仕方ない。誰も想像できなかったのだから。iPodはおいといてウォークマンの第一号機は音も悪いし馬鹿でかい。でも人々は音楽を持ち歩くという使いこなしに満足した、使っているウチに改良点を見いだした(微細な点ではドルビー対応とか)。その要望に応えるのは技術だが、それは開発ではない。
企画屋や営業さんのよくする勘違いは「もっとよくないと。」といきなりあら探しを始めることだ。確かに発売前にあら探しと改良要請は大事なんだけど。この未熟な商品を旨く使いこなすようにすることが一番大事な仕事だ。不完全であることは開発者自身承知している。だが、今世に出すためにはここで妥協するしかないと覚悟している。それを追求すると確かによくなるが、それを解決する技術が非常に高価か非常に困難であることもわかっている。コスト無制限なら良いけど。
そこで使いこなし方を提案できない企画・営業から出される要望に対応すると過剰装備でごてごてしたモノになる。今は中学生向けのラジカセもそうだろう。不要な装備だらけで他社にはあるが自社にはない「装備」だけを追求した結果がこうなる。そこには技術も企画も営業も交えた使いこなしの提案がない。使いこなし方を提案しないから結局誰も欲しいとは思わない。私自身ラジカセは不要だ。
iPodは初期型から使い方を提案していた。ICプレイヤーが既にあってもそれとは違うことをアピールした。だからヒットした。新しい使い方を口コミで拡げるかblogで拡げるのかとかは大きな違いはない。企画・営業は使い方を提案することが重要なのだ。
もし、企画屋が「俺はiPod見たいなものを考えていた」というならコンセプトを表現すべきだ。酒屋で夢物語だって叫んでてもナンにもならない。そして使い方を提案すべきだ。こうなる、こうしたいと名言すべきだ。技術屋はそれをどうやって実現しようかと考えるのだ。そしてそれに必要な技術を開発する。そしてそれが実現されていくのだ。だが、荒唐無稽な提案はやめておいた方がよい。タイムマシンとか、テレポーテーションとかワープは原理原則不可能だ。それはフィクションの世界で楽しめばよい。そりゃあと100年も200年もしたら何か凄いエネルギー革命があるかも知れんが・・技術屋はそんなものに生涯と情熱をかけられない。
ま、営業のように相手の感情の喜怒哀楽に振り回される事がないのは少し楽なんだろうけど。技術紹介する相手の企画とか営業さんの中には原理原則不可能なことを要求したり、ほっとけば勝手に技術が進むと勘違いしている人も居る。技術はニーズがあって改良することで進む。その間不完全品を消費することは技術への投資というと技術者のおごりか。
だが、妥協というか高次元でのバランスと言い換えるか別にして、開発途上のモノはそれで満足するしかない。むしろそこから使いこなし方を提案していくことが企画・営業の仕事だ。最近はそれも技術に求めているが、それでは企画・営業の仕事は何か?単に出来たモノを紹介するだけだったら使い走り(笑)。
ポータブルオーディオで例えてみよう。初っ端はウォークマンで今はiPod。企画屋はiPodを夢見たか??コンセプトさえなかっただろう。それは仕方ない。誰も想像できなかったのだから。iPodはおいといてウォークマンの第一号機は音も悪いし馬鹿でかい。でも人々は音楽を持ち歩くという使いこなしに満足した、使っているウチに改良点を見いだした(微細な点ではドルビー対応とか)。その要望に応えるのは技術だが、それは開発ではない。
企画屋や営業さんのよくする勘違いは「もっとよくないと。」といきなりあら探しを始めることだ。確かに発売前にあら探しと改良要請は大事なんだけど。この未熟な商品を旨く使いこなすようにすることが一番大事な仕事だ。不完全であることは開発者自身承知している。だが、今世に出すためにはここで妥協するしかないと覚悟している。それを追求すると確かによくなるが、それを解決する技術が非常に高価か非常に困難であることもわかっている。コスト無制限なら良いけど。
そこで使いこなし方を提案できない企画・営業から出される要望に対応すると過剰装備でごてごてしたモノになる。今は中学生向けのラジカセもそうだろう。不要な装備だらけで他社にはあるが自社にはない「装備」だけを追求した結果がこうなる。そこには技術も企画も営業も交えた使いこなしの提案がない。使いこなし方を提案しないから結局誰も欲しいとは思わない。私自身ラジカセは不要だ。
iPodは初期型から使い方を提案していた。ICプレイヤーが既にあってもそれとは違うことをアピールした。だからヒットした。新しい使い方を口コミで拡げるかblogで拡げるのかとかは大きな違いはない。企画・営業は使い方を提案することが重要なのだ。
もし、企画屋が「俺はiPod見たいなものを考えていた」というならコンセプトを表現すべきだ。酒屋で夢物語だって叫んでてもナンにもならない。そして使い方を提案すべきだ。こうなる、こうしたいと名言すべきだ。技術屋はそれをどうやって実現しようかと考えるのだ。そしてそれに必要な技術を開発する。そしてそれが実現されていくのだ。だが、荒唐無稽な提案はやめておいた方がよい。タイムマシンとか、テレポーテーションとかワープは原理原則不可能だ。それはフィクションの世界で楽しめばよい。そりゃあと100年も200年もしたら何か凄いエネルギー革命があるかも知れんが・・技術屋はそんなものに生涯と情熱をかけられない。