ならおうは穏やかに語る

Fly Fishingを中心に難しい話からヨタ話まで支離滅裂な雑文。
(09/08/23カウンターを付けました。)

アマゴの自主放流の紹介

2005-05-06 20:51:53 | 釣り
川釣り(特に雑魚)は漁協に金を払って釣る概念はない。鮎、アマゴなどの鱒類は漁協による放流があるので遊漁証が必要な事を納得している人が多いと考えられるが、ウグイやカワムツなどの雑魚は放流も管理もしていないので無料と考える方が筋が通っているだろう。
でも遊漁証の代金は孵化・放流以外の河川管理代として支払うべきだと思う。しかし徴収側がしっかりとしたコンセプトを持っていないと払い損になるのが問題。

内水面の漁業権を確定するための鱒族の放流が主流になっているが、漁業権を広く解釈して遊漁権の管理に手を出すべきだろう。カナダやアラスカの森林管理局(NZやOZも同様の管理体制が敷かれている)は湖面や川面を美しく保ち、魚を釣って楽しむ事を主体にした管理体制を敷いている。特にC&Rを前提とした最小限のキープと言う考えはゲーム・スポーツには欠かせない概念だ。リリースした魚は暫くするとまたルアーやフライを追うようになる。最小限のキープによって食べる楽しみも味わえる。それが美意識や美学になると思う。

今の放流事業、特にアマゴなどの純粋鱒族(鮎は少し異なる)は酷い。美意識も美学もない。解禁当初に釣りきられ、シーズンオフには魚影も見えない様になる。本来は年を越して大きくなり、どこかの支流で産卵して種族を増やし、そしてルアーやフライを追う良いゲームフィッシュになるはずが、稚魚の間に釣りきられてしまう。放流した魚が川や森の恵み(虫や小動物)を糧に成長する事によって川は豊かになる。そして川の恵みは森林へ再配布される。
今の季節なら常緑樹の落ち葉、これが雨に流されて川に沈んで虫が食べる。その虫を魚が食べる。魚をカワセミなどが食べ、森林奥地に再配布するという循環系が成立している。単なる落ち葉を分解するよりもタンパク質やアミノ酸が豊富な鳥糞が肥料になる。川の虫が異常発生しても下流に流されるだけでは森林はやせ衰えるだけになる。

数釣り、束釣りで大量にアマゴやイワナを川から持ち帰る人がいる。その殺生行為・大量殺戮は何を生み出す?天麩羅や佃煮にするのか、塩焼きか、だがアマゴやイワナを大量に喰って旨いか?味そのものなら小鰺や鰯の方が確実に旨い。釣果を競っても良いが、殺生しないようにできないのか?あなたが楽しんだ魚を数日後に違う人が釣り味を楽しめる方がよいじゃないか。さらに、あなたが釣って、誰かがまた釣った魚は当然「すれる」そう釣りにくくなる。こういう魚に対して叡知を絞って挑むのが釣り師ではないのか?ウブな稚魚を大量に殺生する大量殺戮はもうやめよう。

結局本来アマゴやイワナがいた川もニゴイ、オイカワ、カワムツなどの鯉類しかいない川になる。これらの魚ではゲームフィッシュとしては少し貧弱。ニゴイは鈍重な引きでくそ重いだけ。唯一楽しめるのが「ハス」とウグイだが、鱒族ほどタフではないのが難点。(釣りやす過ぎる)

さて、前置きが異常に長くなったが、三重県安濃川でアマゴの自主放流を行う人がいる。私個人が支援出来る範囲は限られているので、私のblogに紹介することで大量殺戮をやめようとするるきっかけになってもらえれば嬉しいと考えている。

既に漁業権の消失した川なので無料で釣りまくっても誰にも咎められない。だけどそんな赤子の手を捻って食い物を奪うような美意識のかけらもない貧乏人根性は捨てて欲しい。
彼の自己満足をあざ笑う行為は非常に簡単だ。片っ端から釣って殺せばよい。だけどそんな事をして何が得られるのかよく考えて欲しい。きれいに清掃した庭園に産廃を捨てる行為やタリバンが仏像を破壊した行為と全く同じ。単にあなたが野蛮で品性もなく高貴な考えなど全くない品性下劣であることを自慢するだけです。

こんなところで吠えていてもどうしようもないじゃないか。という指摘は正しいです。

そこで、キャッチアンドリリースのみではなく最低限のキープで楽しみませんか。と提案しておきます。ここを覗かれた方がそのコンセプトに少しでも同意していただければ幸いです。

ま、安濃川の放流で彼が困ったときに比較的近隣なので少しでも手助けできればよいかなと考えています。

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