オカシのキモチ

日々の昼ごはんとお菓子作り、
そして休日は散策という名の食べ歩き。
食いしん坊夫婦の備忘メモです。

お得な切符で日帰り旅行(水戸編その2 偕楽園 梅まつり)

2014年04月02日 | ├ 茨城県
先日に次いで茨城県は水戸方面への旅のつづきをお届けします。

上野駅から常磐線に約2時間半乗車し、「偕楽園駅」で下車。

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■上野駅

↓ [常磐線]約150分乗車

■偕楽園駅(臨時駅)
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長時間座っていたので、オシリが4つに割れそうです




▲普段は通過しているプラットフォームです

こちらの駅は文字通り「偕楽園」沿いにあり、“梅まつり”の時期に合わせて営業する臨時駅




▲自動改札はないので臨時スタッフの目視によるチケット確認で通行

故に停車するのは“下り線”のみで、線の脇にコンクリート製のプラットホームを添えた簡素な構造であるものの、ホーム沿いには桜川が並流し、偕楽園と反対側には千波湖を臨むことができる絶好のロケーションにあります。





今年の「水戸の梅まつり」は2月20日~3月31日まで開催。
タイミングよく晴れ間のあった3月30日(土)に滑り込むかたちで初入園です。

梅の花を観賞する「観梅」は明治33年(1900年)2月の最終日曜日を第一観梅デーとしたことが始まりで、春の訪れを感じる先駆け行事として毎年開催され、全国から多くの方が足を運ぶそうです。

デジタル一眼レフカメラを買ったせいか、年をとったせいかは分かりませんが...
わざわざ“花を愛でる”ために出かけようなどと、以前は考えもしなかったでしょう(笑)





で、マップを頂きましたが、特にプランを立てることなく近場から散策しました




▲この階段の昇りは決して楽ではありません(笑)

偕楽園の脇に立地した『常盤神社』は水戸黄門で有名な水戸光圀と偕楽園を作った徳川斉昭の2人を祀る神社。
明治時代の創建ということで比較的劣化の少ない綺麗な境内でした。




▲「水戸黄門」シリーズは祖父がよく観てましたね

「この紋所が目に入らぬか!」
「(一同)ははぁ~...」
と思わず平伏しそうな御馴染みの“家紋”が本殿にあります(笑)
本殿脇の舞台では様々な催しがあり、敷地内には水戸光圀を始めとする水戸徳川家所縁の品々を展示した義烈館が立地し、黄門様ファンには楽しめそうなスポットかと。




▲園内マップ

さて、“日本三名園”のひとつ水戸の「偕楽園」は前述のように徳川斉昭公(=水戸藩第9代藩主)が「衆と偕(とも)に楽しむ場」として1842年に開設した、というのが大枠。

■偕楽園の開設 ※HPより抜粋
 偕楽園は、水戸徳川藩第9代藩主徳川斉昭(烈公1800~1860)が自ら造園構想を練り、創設したもので、特に好文亭については烈公がその位置や建設意匠を定めたと言われています。
 計画は斉昭が藩主になってから後、はじめて水戸に来た天保4年(1833)に考えられましたが、この年大飢饉のために進みませんでした。翌5年にはその準備の第一歩として神崎の地(水戸市)に数多くの梅樹を植えさせていますが、まだ、このころは具体的な園の構成ができあがっていたわけではありません。
 天保12年(1841)4月から造園工事を行い、翌13年7月1日に開園となり、同月27日から公開されました。
 武士以外の者の入園については、初めは神官・修験・僧侶など宗教関係者に限られていましたが、次第に庶民一般にも及んでいきました。また、他国の者の入園は許されていませんでした。
 偕楽園の由来及び好文亭に関することなどについては、「偕楽園記」に記されていますが、これは天保7年(1836)に草案ができていたのを、同10年になって斉昭の自選自書でできあがったものであります。
 偕楽園の名称は、中国の古典である『孟子』の「古の人は民と偕(とも)に楽しむ、故に能く楽しむなり」という一節からとったもので、「偕楽園記」では「是れ余(斉昭)が衆と楽しみと同じくするなりの意なり」と、述べています。

日本三名園のひとつ水戸の偕楽園は、1842年(天保13年)に水戸藩第9代藩主徳川斉昭公(なりあきこう)が「衆と偕(とも)に楽しむ場」として開設したものです。 園内には約100品種3,000本の梅が植えられ、毎年2月~3月には全国から大勢の観光客が訪れています。





ということで、常陸神社に隣接した「東門」から入園。
こちらからの来園者が最も多いようですが、本来は「表門」からが正解だと思います。





マップ上の「東西梅林」から歩を進めました
やはり御年配の方が多かったですね(笑)






密集して植樹されているものの全体に陽が差し込むせいか、奥まった場所にも梅が花を咲かせていました。
遊歩道が整備されているので間近の梅もジックリ観ることができます。





▲六名木を注視してませんでした...

そもそも偕楽園の梅は、その品種が豊富なことで有名です。
中でもその華麗さから「水戸の六名木」に選ばれる梅もあるほど。

皆一同に「綺麗だね...」とコトバが漏れていました。

※花の形・香り・色など特に優れた6品種が昭和9年に「水戸の六名木」とされました。
*白難波(しろなにわ)
*虎の尾(とらのお)
*柳川枝垂(やながわしだれ)
*烈公梅(れっこうばい)
*江南所無(こうなんしょむ)
*月影(つきかげ)





(本来なら)「表門」から「一の木戸」を入って吐玉泉に通じる園路の左側に「孟宗の竹林」があります。

偕楽園は表門から入ってこそ斉昭公が意図した「陰」から「陽」の世界を堪能できるとか。



▲大杉森

我が家を含め多くの来園者は、そのルートから始まる孟宗竹林・大杉森など“陰の世界”を知ることなく帰ってしまうようです。(あとの祭りです:笑)





因みに、こちらの竹は弓の材料用に斉昭が京都男山の竹を移植したものです。





大杉森を抜けて『好文亭』に入ってみました。




▲何より先ず、建物までのアプローチがスバラシイです


▲力強くも優雅な外観からは水戸藩としては風格漂う建築物

好文亭」の名称は...
晋(しん)の武帝の故事「文を好めば則ち梅開き、学を廃すれば則ち梅開かず」により、梅の異名を「好文木(こうぶんぼく)」といったことから命名されたそうです。

二層三階建ての「好文亭」とその北側にある平屋建ての「奥御殿」からなり、一般に全体を総称して好文亭と呼んでいます。




▲つつじの間

▲紅葉の間

▲西塗縁広間

▲階段の勾配は急なので昇り降りには注意です

徳川斉昭が自ら設計したというだけに、随所に創意工夫と洒脱さを感じさせます。
ここに文人墨客や家臣、領内の人々を集めて詩歌や慰安会を催したそうです。






三階にあるの楽寿楼(らくじゅろう)からの千波湖や田鶴鳴梅林の眺望は絶景でした。




▲昭和20年の水戸空襲により焼失しましたが、昭和30年から3年かけて復元しています

▲南門を抜け、線路に並走してグルッと一周

▲妻はカリッとした梅の食感が苦手のようです

見晴台付近に戻って、御当地ソフトクリーム“”を食べました。
パック詰めをその都度搾り出した簡素なモノでしたが、見るからに口の中が酸っぱくなりそうな梅色。

一口食べてみると・・・梅の酸味がジワジワ浸透して、まるで“冷えた梅ガム”のようでしたが、カリッとした食感が美味。
疲れが吹き飛びそうな酸っぱさでした。

ごちそうさんです。





ここ「偕楽園」は“梅の公園”として有名ですが、この時期以外も四季にわたって見所がたくさんあるそうです。




▲足元には、たんぽぽが...

現在は「水戸の桜まつり(4月1日~4月15日/偕楽園)」が開催中。

咲き散る梅の中、今度は桜が咲き始めます。
見晴広場の「左近の桜」や、秋~冬と春に咲く「二季咲桜」も白や淡紅色の花をつけるそうです。

梅を見逃した方はぜひ!

つづく



【過去の記事より...梅の次は桜ですね】
*[亀戸天神 梅祭り2014 / 中華料理『叙香苑』

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