去年の12月になって急に京極夏彦を読み出した。キッカケは日テレが深夜枠でアニメ化した『魍魎の匣(はこ)』を視たことである。さすがに毎回リアル・タイムで視るのはキツイ時間だったので、一部の回はビデオに撮って視たりもしていたが、だんだん話の展開がよく分からなくなり、それならヒマだからいっそのこと原作を読んじまうか、と考えた。それが最終回の2回前のこと。で、原作を読むならいっそのこと第1作の『姑獲鳥(うぶめ)の夏』から読もうということになった(『魍魎の匣』は京極堂こと中善寺秋彦が登場する百鬼夜行シリーズの第2作に当たる)。
実を言えば『姑獲鳥の夏』も、堤真一主演の映画版をDVDを既に視ている。視ているのだが、途中で眠くなってウツラウツラしながら視ていたため、「何だかよく分からない話だなー」という印象しかなかった。だが改めて原作を読んでみると、半分眠りながらも、ある程度スジは把握できていたようだ。
この『姑獲鳥の夏』は京極夏彦の第1作となる作品だったが、その原稿を初めて読んだ編集者は、「これは、ある著名作家が京極夏彦という別名で発表しようとしている作品に違いない」と思ったという。そう思うのは、ある意味当然で、Wikipediaによると京極夏彦は1963年3月26日生まれということで、私と同学年(私は1962年10月26日生まれ)なのだが、文章のスタイルが妙に古めかしいのだ。例えばこんな具合──
作品の舞台が戦後間もない頃、ということで、あえてこうういう古めかしい書き方にしているのか、これが京極夏彦本来の文体なのかはわからないが、諸星大二郎の描く線がそうであるように、京極の書く文章には現代と神代とが確かに地続きであることを感じさせる、得体の知れない力を感じる。あの線によって描き出される諸星大二郎の世界と、この文体によって描き出される京極夏彦の世界は、実は非常に近い位置にあるのかもしれない。
そして『姑獲鳥の夏』で注目すべきは、1章での認識を巡る京極堂の論である。『姑獲鳥の夏』全部を読む必要はないが、ここは読んでおくべき価値がある。あるいは、これを読むことを目的に『姑獲鳥の夏』を読んでもいいだろう。
ついでに、その後に続く量子論の話も見ておくといい。そして、もし『姑獲鳥の夏』を最後まで読んだなら、この物語は全体が認識論+量子論を表す構造を持っていたことがわかるはずだ。何という奇想!
日本のミステリには3大奇書と呼ばれる作品がある。夢野久作の『ドグラ・マグラ』、小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』、塔晶夫(=中井英夫)の『虚無への供物』がそれだ。そして京極夏彦の一連の作品は、明らかにこの系譜に連なるものだ。そう言えば、夢野久作の文章を「地底から這い出るような」、小栗虫太郎の文章を「天空から飛来するような」と、見事な比喩で言い表わした評論を読んだことがあるが、京極夏彦の作品は、ある意味、夢野久作の書いた『黒死館』、あるいは小栗虫太郎の書いた『ドグラ・マグラ』と言えるかもしれない。
京極作品は一応、本格ミステリの体裁を取っているものの、あらかじめ推理に必要な全てのデータが与えられる、正しい意味での本格ミステリではない。事件の解決に当たっては、探偵役を務める古本屋の主にして陰陽師(おんみょうじ)の京極堂・中善寺秋彦しか知り得ない、さまざまなことが使われているからだ。だが、そもそも京極作品は単なる犯人当て、トリック当て小説ではない。
『姑獲鳥の夏』の密室から消えた男と20カ月以上妊娠し続ける女
、『魍魎の匣』の衆人環視の中での人体消失と次々に現れる箱詰めされた手足
──その謎のために用意された、古色蒼然たる文章の行間から立ち登る、通常のミステリの常識を遙かに超えた、飛びきりの、狂おしく、おぞましいまでの奇想。そこにこそ京極作品の真の魅力があるのだ。
ところで『魍魎の匣』の方はアニメの最終回が早いか、原作を読み終えるのが早いか、というところだったが、ギリギリのところで突然体調を崩して(あるいは、小説の内容に当てられて)しまい、原作を読むのを中断してアニメの方を先に視てしまった。これから『魍魎の匣』の最終部に取り掛かることになるが、その後は『狂骨の夢』『鉄鼠の檻』へと進んでいくことになるのだろうか。
なお、アニメ版『魍魎の匣』はveohで全話視ることができる。
『魍魎の匣』第1回
実を言えば『姑獲鳥の夏』も、堤真一主演の映画版をDVDを既に視ている。視ているのだが、途中で眠くなってウツラウツラしながら視ていたため、「何だかよく分からない話だなー」という印象しかなかった。だが改めて原作を読んでみると、半分眠りながらも、ある程度スジは把握できていたようだ。
この『姑獲鳥の夏』は京極夏彦の第1作となる作品だったが、その原稿を初めて読んだ編集者は、「これは、ある著名作家が京極夏彦という別名で発表しようとしている作品に違いない」と思ったという。そう思うのは、ある意味当然で、Wikipediaによると京極夏彦は1963年3月26日生まれということで、私と同学年(私は1962年10月26日生まれ)なのだが、文章のスタイルが妙に古めかしいのだ。例えばこんな具合──
どこまでもだらだらといい加減な傾斜で続いている坂道を登り詰めたところが目指す京極堂である。梅雨(つゆ)も明けようかという夏の陽射しは、あまり清々(すがすが)しいとはいい難い。坂の途中に樹木など日除(ひよ)けになる類(たぐい)のものはひとつとしてない。ただただ白茶けた油土塀らしきものが延々と続いている。この塀の中にあるのが民家なのか、寺院や療養所のようなものなのか、私は知らない。(中略)坂をおおかた登り詰めると左右に脇道が現れる。油土塀はそこで左右に折れ、脇道を挟んで竹藪と古い民家が数軒続く。更に進むと、雑貨屋だの金物屋だのがちらほら目につき始める。そしてそのまま暫く直進すると、隣町の繁華街へと出る。
──『姑獲鳥の夏』冒頭部分
作品の舞台が戦後間もない頃、ということで、あえてこうういう古めかしい書き方にしているのか、これが京極夏彦本来の文体なのかはわからないが、諸星大二郎の描く線がそうであるように、京極の書く文章には現代と神代とが確かに地続きであることを感じさせる、得体の知れない力を感じる。あの線によって描き出される諸星大二郎の世界と、この文体によって描き出される京極夏彦の世界は、実は非常に近い位置にあるのかもしれない。
そして『姑獲鳥の夏』で注目すべきは、1章での認識を巡る京極堂の論である。『姑獲鳥の夏』全部を読む必要はないが、ここは読んでおくべき価値がある。あるいは、これを読むことを目的に『姑獲鳥の夏』を読んでもいいだろう。
ついでに、その後に続く量子論の話も見ておくといい。そして、もし『姑獲鳥の夏』を最後まで読んだなら、この物語は全体が認識論+量子論を表す構造を持っていたことがわかるはずだ。何という奇想!
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日本のミステリには3大奇書と呼ばれる作品がある。夢野久作の『ドグラ・マグラ』、小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』、塔晶夫(=中井英夫)の『虚無への供物』がそれだ。そして京極夏彦の一連の作品は、明らかにこの系譜に連なるものだ。そう言えば、夢野久作の文章を「地底から這い出るような」、小栗虫太郎の文章を「天空から飛来するような」と、見事な比喩で言い表わした評論を読んだことがあるが、京極夏彦の作品は、ある意味、夢野久作の書いた『黒死館』、あるいは小栗虫太郎の書いた『ドグラ・マグラ』と言えるかもしれない。
京極作品は一応、本格ミステリの体裁を取っているものの、あらかじめ推理に必要な全てのデータが与えられる、正しい意味での本格ミステリではない。事件の解決に当たっては、探偵役を務める古本屋の主にして陰陽師(おんみょうじ)の京極堂・中善寺秋彦しか知り得ない、さまざまなことが使われているからだ。だが、そもそも京極作品は単なる犯人当て、トリック当て小説ではない。
『姑獲鳥の夏』の密室から消えた男と20カ月以上妊娠し続ける女
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ところで『魍魎の匣』の方はアニメの最終回が早いか、原作を読み終えるのが早いか、というところだったが、ギリギリのところで突然体調を崩して(あるいは、小説の内容に当てられて)しまい、原作を読むのを中断してアニメの方を先に視てしまった。これから『魍魎の匣』の最終部に取り掛かることになるが、その後は『狂骨の夢』『鉄鼠の檻』へと進んでいくことになるのだろうか。
なお、アニメ版『魍魎の匣』はveohで全話視ることができる。
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深い~
私には、コミックの「陰陽師」あたりが
ちょうど良い様です。
でも、「月の明かりの下でしか・・・」と言う
セリフは、頭から離れません。
シンクロは始まっているのでしょうかね?
先生のパズルのお陰で、
「歯と経絡」の仮説ができました。
1番・下・・・任脈 上・・・督脈
2番・下・・・心包 上・・・三焦
3番・下・・・肝臓 上・・・胆嚢
4番・下・・・心臓 上・・・小腸
5番・下・・・肺 上・・・大腸
6番・下・・・脾臓 上・・・胃
7番・下・・・腎臓 上・・・膀胱
と思考中なのですが・・・・・・・・。
是非、追試をお願い致します。
>でも、「月の明かりの下でしか・・・」と言うセリフは、頭から離れません。
もしかすると、終盤の「私は『魍魎の匣』だ
それはそれとして…
歯と経絡の対応、ありがとうございます
左右共通で
上1,2…腎臓、膀胱、前立腺、子宮、肛門
上3…肝臓、胆嚢
上4,5…肺、大腸
上6,7…膵臓、胃
上8…心臓、十二指腸
下1,2…腎臓、膀胱、前立腺、子宮、肛門
下3…肝臓、胆嚢
下4,5…膵臓、胃、幽門
ここからは左右で異なり
左下6…回腸、心臓
左下7,8…盲腸、肺
右下6,7…盲腸、肺
右下8…回腸、心臓
何だか恐いですね~!
1部訂正です。
1番・下・・・任脈 上・・・督脈 ですが、
これが上下左右のクロスだと思うのですが・・・
男女で! と、上手くは統計が取れていません。
どうしても、腎は、奥歯のイメージが離れないんです。
魍魎が御話してくれると助かるのですが・・・。