深く潜れ(Dive Deep)! キネシオロジー&クラニオセイクラル・ワーク(クラニオ)の蒼穹堂治療室

「ココロとカラダ」再生研究所、蒼穹堂治療室が送る、マニアックなまでに深く濃い、極私的治療論とお役立ち(?)情報の数々。

キネシオロジーで未来のことを聞く 1

2014-09-22 11:43:38 | 一治療家の視点

キネシオロジーはジョージ・グッドハートが体系化してから、まだ50年くらいしか経っていない。治療メソッドというものは歴史の長さだけが完成度を決めるわけではないけれど、まだ50年ということは、ほとんど何もわかっていないに等しいといっても過言ではない。

ややもすると「あの有名な先生がそう言っているのだから間違いない」みたいに考えてしまいがちだが、(私がブログに書いていることも含めて)今、キネシオロジーについて語られていることは、ほとんど全てが単なる仮説だと思っていい。だから誰の言葉であろうと、決して盲信すべきではない。

そして、仮説は疑うためにある。

以下に述べることも、キネシオロジーについて言われていることを私なりに考察した結果であり、特定の個人やグループを攻撃するといった意図はないことを、あらかじめお断りしておく。

キネシオロジーは筋反射テストを通じてさまざまなことを尋ねることができるが、

未来のことを聞いてはいけない。

という条項を設けているところがある。そこは「未来は不確定だから、それを筋反射テストで聞いてはいけない。もし未来のことを聞きたいというのなら、そうしたことを思ってしまうのはなぜかを探り、それを解くことで、そうした思いから解放させる」という考え方のようだ。

ちなみに、そこはキネシオロジーで過去のことを聞くことは何ら禁止していない。いや、むしろ現在の状態を作り出した原因を過去の出来事に探り、それをさまざまな手段を使って解くことをセッションの主たる目的にしている。


一見なるほどとも思えるのだが、この条項を見た時から私には何とも言えないモヤモヤした感じがあって、それを何とかしたいと思っていた。そして、この文章はその試みの途中結果である。


これまで、いくつかのブログ記事を書くにあたって量子論についていろいろ調べてきた。調べたといっても物理の専門的なレベルは到底歯が立たないので、一般の教養書のレベルだが、それでもいくつか思うところがある。

因果律について、だ。

因果律とは「Aという出来事があったことでBという出来事が起こる」という因果関係についての規則のこと。この場合、当然のことながら時間的にA→Bという順序で出来事が起こらなければならない、というのが普通の認識としてある。

けれども、この因果律、どれだけ確かなものなのだろうか? その辺のところを『量子力学の哲学』から引用してみる(なお、以下の引用ではこの文章の主題に直接関係ないところは省くが、煩雑になるので「中略」という言葉は入れない)。

未来の出来事が現在や過去の出来事を決めたり、現在の出来事が過去の出来事を決めたりするような因果関係を「逆向き因果」という。逆向き因果は可能だろうか?
ここで言いたいことは、結果が原因に時間的に先行するというのは、因果という概念の定義上、ありえないということはなく、とりあえず「論理的には」ありうるということである(相対性理論を信じると物理的にありえないことはではない)。
プライスによると、そもそも「原因と結果(因果)」という概念は人間がつくったものであり、世界の側に客観的に存在しているものではないという。原因と結果という関係(因果関係)が客観的に存在するのではなく、実際に生じた複数の出来事の間に人間が因果関係を見るのである。
プライスによると、ある出来事Cが別の出来事Eの原因であると私たちが考えるのは、
Eを達成するための手段であるとCをみなす
ときであるという。「太鼓の音を鳴らす」という目的を達成するためには、「太鼓をたたく」ということが目的達成の手段の一つであると私たちはみなしているから、「太鼓をたたくこと」は「太鼓が鳴ること」の原因だと思うわけである。
しかし因果関係が私たちのものの見方に依存するにしては、原因が時間的に結果に先行する考えは容易には払拭できない。それはなぜだろうか。
たしかに、因果関係は客観的に世界に存在する関係ではないのだが、
ある一定の条件下では私たちはある一定の因果関係を見る
のである。それゆえ、あたかも「原因が結果に先行する」ということが客観的な事実であるように思えるのである。では、その私たちを「原因が結果に先行する」と思わせる「ある一定の条件」とは何であろうか。私たちは
過去を知っていて未来を知らないがゆえに、過去は固定されていて未来は開いているように感じる。
この事実こそが、私たちが自由に変更することのできない事実であり、それ(過去を知っていて未来を知らないこと)が私たちに原因は結果に先行すると思わせる条件なのである。
しかし、「現在のことは知っていても過去のことは知らない」という状況はありうる。たとえば、太郎の合否発表の例を思い出してみよう。合否の決定は過去に生じた出来事であるのに、太郎はまだそれを知らない。それゆえ、過去は固定されておらず、現在の祈りによって過去を変えうると信じることができるわけである。
だが、この議論で納得できる読者はあまりいないであろう。祈りの例にしても、それはたんに、まだ合否を知らないから祈りで変えられるかもしれない信じることができるだけの話で、じっさいには、祈りで合否を変更できるわけではない。

また、「結果となる過去の出来事を知らない」という状況でのみ逆向きの因果が生じるという考えかたは、逆向き因果を考える際に生じるさまざまなパラドックスを回避するのには都合がよいが、物理的には、結果となる過去の出来事を知っていても逆向き因果が生じる可能性がある。


そして著者は、光速を超えて移動する物体、タキオンを仮定すれば、相対性理論によって未来から過去に情報を送ることができる(つまり逆向き因果が成立する)ということを述べているが、それはともかく、ここで重要なのは

「原因と結果(因果)」という概念は人間がつくったものであり、世界の側に客観的に存在しているものではない

ということだ。

また、そもそも物理学では過去と未来を区別しない。だから「過去は固定されていて未来は開いている」という時間に関する非対称性は、物理学的な事実を述べたものではなくて、単なる人間心理──強い言葉で言えば「思い込み」──を述べているに過ぎない。

と同時に、「覆水盆に帰らず」ということわざにもあるように(少なくともマクロなレベルでは)過去は取り戻せないという意味で、時間は非対称であるのも事実である。


私はキネシオロジーに限らずどんなメソッドでも、それにおけるタブーは、メソッドそのものにあるのではなく、あくまでメソッドの使い手の側にある、と考えている。だからあとは、「上に述べたようなことを踏まえた上で、あなたはキネシオロジーをどんな考え方に基づいて使うのか?」という選択の問題になる。

因果律を強く認め、「過去は固定されていて未来は開いている」という時間に関する非対称性を重視するなら、多分、キネシオロジーで未来のことを聞くことはできない。逆に因果律にも時間の非対称性にもあまりこだわらないなら、キネシオロジーで未来のことを聞くことができるだろう。

ウィトゲンシュタインは同じ哲学的な課題を共有できない人を「違う世界に住んでいる」と表現したが、この2つのキネシオロジーも考え方のベースが全く異なるので、たとえ外見的には共通した手技を使っていたとしても、「違う世界の存在」となるのかもしれない。

けれども、それは使い手の考え方(生き方)の違いであって優劣の差ではない。つまりは、キネシオロジーとはこの世界の絶対的な真実を取り出すツールではなく、使い手それぞれの世界観を反映した「相対的な真実」を取り出すツールだということにほかならない。

この話は更に続くが、内容がまだ整理できていないので少し先になるかも。


コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« クラニオで静止を重ねる 2 | トップ | 「なんちゃってibマッピング... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
陰と陽 (リンリン)
2014-09-24 23:47:22
高澤先生こんにちは。久しぶりに投稿させていただきます。
記事を読ませていただいて、何か混乱を覚えたので自分の中で少し整理してみました。
因果律を考えるときに、「物質宇宙」と「情報宇宙」の二つがあるという前提で話をしていきます。
物質宇宙の時間軸は過去から未来に流れ、情報宇宙は未来から過去に流れる。
この二つの交差点が現在であるのですが、物質から見た科学的な観点では原因は過去にあるとしか考えられません。しかし情報の観点(精神)から見たときには原因は未来にあると考えることができます。
これは相対的なので、その人の世界観によって変わるという点は先生と同じ意見です。
そして主題の「未来のことを聞く」に対してですが、私が思うにこれは確定された未来を知りたいという意味だと思いますが、情報宇宙の観点からいくと「その人がどうしたいのか。どういう未来を望んでいるのか」ということが大きく関わってくるのかなと思いました。そういう意味では「聞く。知る」という表現では少しずれが出てくるかもしれません。論点とずれているかもですが、私の言葉にならない矛盾がスッキリしたところで一意見とさせていただきます。

返信する
そのことについては… (sokyudo)
2014-09-25 10:58:24
>リンリンさん
>そして主題の「未来のことを聞く」に対してですが、私が思うにこれは確定された未来を知りたいという意味だと思いますが、情報宇宙の観点からいくと「その人がどうしたいのか。どういう未来を望んでいるのか」ということが大きく関わってくるのかなと思いました。

仰るとおりです。

「未来のことを聞く」とは、現在の状態、本人の希望、…といったさまざまな要素から導かれる、1つの(その条件において比較的確率の高い)可能性にアクセスする、ということに、ほかなりません。
だから、前提となる条件が変われば、キネシオロジーによって得られる未来の形も変わります。

しかし、それは「過去のことを聞く」でも同じことが言えるのではないか、ということが、この記事の続きとして考えている文章の内容です。

なので、そのことについては後日。
返信する

コメントを投稿

一治療家の視点」カテゴリの最新記事