見終わった後、体の中いっぱいに清々しさが広がるのを感じながら思った、「ああ俺、こんな映画が見たかった」。
『去年の冬、きみと別れ』──これは俺にとって久々の大ヒットだった。もう文句のつけようがない。ミステリとしても物語としても。
これは映画本編の冒頭部分
写真家、木原坂雄大(斎藤工)のアトリエで火事があり、彼の作品のモデルをしていた視覚障害者の女性が焼死する。マスコミは一斉に、これは木原坂が起こした殺人事件だと騒ぎ立てるが、「週刊文詠」だけはその論調に乗らなかった。木原坂は検察に送られたものの、結局それは不慮の事故ということで結論づけられ、殺人だと報じたマスコミは大いに面目を失い、社会から指弾を浴びることになった。
その1年後、「週刊文詠」の編集長、小林良樹(北村一輝)の元に耶雲(やくも)恭介(岩田剛典)と名乗るフリーライターが企画を持ち込んでくる。それは「木原坂は火事の時、焼け死ぬモデルに向けてシャッターを切り続けていたのでは?」という「木原坂猟奇的殺人犯説」に基づくルポルタージュで、結婚を間近に控えた耶雲はこの企画でライターとしての実力を試したいのだという。小林は難色を示すが、「面白そうじゃないか。ダメなら切りゃあいいんだ」という上司に押し切られる形で、耶雲による木原坂への密着取材が始まる。
耶雲の取材で、木原坂が幼少期、姉とともに父親から虐待を受けていた可能性があることや、異常に人のものを欲しがり、奪い取る性癖があるらしいことなどが明らかになっていく中、木原坂は耶雲の婚約相手である松田百合子(山本美月)に標的を定め、動き出していた。だが、ここから物語は異様なねじれを見せ始め、いくつものどんでん返しを経て驚愕のラストへ。
メインの登場人物がことごとく人間のクズで、ストーリーはドス黒く、ラストは何の救いもない、という珠玉の作品。内容のあまりのエゲつなさに、見ている間、とにかく楽しくて仕方がなかった。映画を見終わって、久しぶりに心の底から喝采を叫んだ。
ところで『去年の冬、きみと別れ』は、いわば「誰が本当の怪物だったのか?」を巡る物語なのだが、そこで思い出すのはマーガレット・ミラーの『これよりさき怪物領域』のこと──もっと正確に言えば、ミラーの『明日訪ねてくばいい』の解説の中で宮脇孝雄が『これよりさき怪物領域』というタイトルについて論じた下りである。
ミラーの言う怪物領域とは「人が一線を越えて怪物(例えば犯罪者)になってしまった領域」を象徴的に表した言葉だが、実は人間領域(人が人でいられる領域)と怪物領域との間には明確な境界などなく、怪物領域に行ってしまった者たちもほとんどは「気づいたら怪物領域に立っていた」ということなのだ、とそれは述べている。
それは裏を返せば、怪物領域から人間領域へと移動することもまた造作もない、ということでもあるのだ。たとえ自らの意思で怪物領域へと踏み込んだ者であっても。
この映画の原作は中村文則の同名の小説。私は中村作品では、恋人が事故死したにもかかわらず周囲には彼女は生きていると語り続け、黒いビニールに包まれた謎の瓶を持ち歩く男の話『遮光』しかまだ読んだことがないが、これも異様な物語だった。今度は『教団X』なんかを読んでみたい。
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