20世紀初頭、物理学の分野から出された「相対論」と「量子論」は、その後の世界の「知の枠組み」に一大転換をもたらす、エポック・メイキングな出来事だった。それによるパラダイム・シフトは、理論の発表から100年が経とうとしている今も続いている。例えば、量子論の視点から人体や超能力、代替医療を論じることが最近の一つのトレンドのようになっている。私も以前、そうした切り口からブログの記事を書いたことがあるが、(主にニュートン力学的な視点に立った)これまでの“科学的”見地からは「ありない」「説明のつかない」超能力の発現機序や代替医療の治効機序が、量子論的に見ると非常にスッキリと説明できるのである(もちろん、「だからそれらは全て正しい」ということではないが)。
そして物理学からやや遅れて、1931年に発表された一つの数学論文が、別の意味で「知の枠組み」を激震させた。その論文を発表したのは、チェコスロバキアの一人の数学者。その名をクルト・ゲーデルと言う。そして彼の論文で述べられた補題(注1)は、その後「(ゲーデルの)不完全性定理」と呼ばれることになる。
(注1)補題とは定理に準ずるもの。
この不完全性定理は、まさしく物理学における相対論、量子論に匹敵する偉大な発見であるにも関わらず、現在、例えば冒頭に述べた量子論のように、さまざまなものを不完全性定理の視点から考察する、といっったことは行われていない。それは、不完全性定理が形式論理という数学的世界を対象としているためであり、理論物理学とは言え現実と少なからぬ接点を持つ量子論や相対論とは異なるので、ある意味、仕方がない面はある。
それでも、ここ半年くらい、例えば人体とか医療というものを不完全性定理的な視点でとらえた時、何が見えてくるだろうと考えてきたのだが、つい最近、ある非常に興味深い結果を得た。それは、「純粋に解剖学、生理学だけに立脚する医療システムには本質的な限界があることが、不完全性定理から“数学的に”証明できる」ということだった。それは例えば、(最近もやっているのかどうかは知らないが)さまざまな分野の未来予測の中で「××年後には医学の発達によって全ての病気が克服され、人々はもう病気で苦しむことはなくなる」などというのがあるが、仮にその医学が純粋に解剖学、生理学だけに立脚するものであるなら、その予測は決して当たらない──つまり、そんな時代は永久に来ない──ことを“数学的に”証明できる、ということである。
もちろん、「そんなことは直観的に明らかだ」という人もいるだろうが、“直観的”に明らかに見えることでも、実は常に正しいとは限らない。だが、それを“数学的に”証明できるということがミソなのである。ついでに言えば、その医療の持つ「本質的な限界」をどのようにしたら打破できるのかも、導き出すことができる。
量子論を本当のところ知らない人でも、量子論を語ってしまっている(そりゃオイラだ)ことを考えれば、上記の結論が得られるということだけがわかれば、必ずしも不完全性定理の本質を理解する必要はないのかもしれない。しかし上記の結論は、ミステリをいきなり最終章から読んだようなものだ。探偵の言い放つ「この一連の事件の犯人はあなただ、スミス夫人!」という一言で、犯人がスミス夫人であることはわかっても、それだけでは何の意味もない。それと同じで、やはり不完全性定理というものをわかった上で、なぜそんな結論が導き出せるのかを実際に見てほしい。
と言っても、不完全性定理を数学的に厳密に説明することなどは考えていない。あくまで、そのエッセンスだけを(自分自身の勉強、という意味も含めて)述べるつもりだが、それでも1回で書ききれないことは最初からわかっているので、今のところ次のような筋立てを考えている。
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第1部 形式論理の世界
『博士の愛した数式』などによって数学の世界が以前より少し身近なものになりつつあるが、ほとんどの人は現代数学がどのようなものなのかを知らない。不完全性定理とは、数学の中で数学そのものを論じるための定理なので、現代数学がどのように成り立っているのかを知る必要がある。そのキーワードが形式論理である。
第2部 完全性定理と不完全性定理
ゲーデルの大きな業績が、完全性定理と不完全性定理の発見である。完全性定理と不完全性定理──何か矛盾しているように感じるかもしれないが、それはそれぞれの定理にかぶせられた完全性と不完全性の意味が異なるため。ここでは、この二つの定理の意味するものを考えていく。
第3部 不完全性定理から見たシステム
1、2の準備の下に、不完全性定理から、例えば前に述べた医療システムの限界がどのように導かれるのかを述べる。
第4部 不完全性定理を越えて
仮にシステムに本質的な限界が存在するとして、それは回避不能なものか? 実はそうではない。なぜなら、不完全性定理自体が回避不能な限界を持っているから。最後にそれについて述べて、全体のまとめとする。
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ただし、これはあくまで現時点での予定であり、本当にこの通りに進むかどうかはわからない。
では最後に、そもそもゲーデルの不完全性定理とはどういうものか、を書いておかなければならないだろう。我々が目標とする不完全性定理のステートメント(注2)は以下のようなものである。
(注2)これはゲーデルの論文に書かれた補題のオリジナルのステートメントではない。
(不完全性定理1)自然数論を含む述語論理の体系Zは、もし無矛盾ならば形式的に不完全である。
この定理から、以下の定理が導かれる。
(不完全性定理2)Zが無矛盾であるならば、Zの無矛盾性をZの中で証明することはできない。
追記:ここで述べる不完全性定理についての記述は、その多くを『不完全性定理 数学的体系のあゆみ』(野崎昭弘著、ちくま学芸文庫刊)に負っている。
そして物理学からやや遅れて、1931年に発表された一つの数学論文が、別の意味で「知の枠組み」を激震させた。その論文を発表したのは、チェコスロバキアの一人の数学者。その名をクルト・ゲーデルと言う。そして彼の論文で述べられた補題(注1)は、その後「(ゲーデルの)不完全性定理」と呼ばれることになる。
(注1)補題とは定理に準ずるもの。
この不完全性定理は、まさしく物理学における相対論、量子論に匹敵する偉大な発見であるにも関わらず、現在、例えば冒頭に述べた量子論のように、さまざまなものを不完全性定理の視点から考察する、といっったことは行われていない。それは、不完全性定理が形式論理という数学的世界を対象としているためであり、理論物理学とは言え現実と少なからぬ接点を持つ量子論や相対論とは異なるので、ある意味、仕方がない面はある。
それでも、ここ半年くらい、例えば人体とか医療というものを不完全性定理的な視点でとらえた時、何が見えてくるだろうと考えてきたのだが、つい最近、ある非常に興味深い結果を得た。それは、「純粋に解剖学、生理学だけに立脚する医療システムには本質的な限界があることが、不完全性定理から“数学的に”証明できる」ということだった。それは例えば、(最近もやっているのかどうかは知らないが)さまざまな分野の未来予測の中で「××年後には医学の発達によって全ての病気が克服され、人々はもう病気で苦しむことはなくなる」などというのがあるが、仮にその医学が純粋に解剖学、生理学だけに立脚するものであるなら、その予測は決して当たらない──つまり、そんな時代は永久に来ない──ことを“数学的に”証明できる、ということである。
もちろん、「そんなことは直観的に明らかだ」という人もいるだろうが、“直観的”に明らかに見えることでも、実は常に正しいとは限らない。だが、それを“数学的に”証明できるということがミソなのである。ついでに言えば、その医療の持つ「本質的な限界」をどのようにしたら打破できるのかも、導き出すことができる。
量子論を本当のところ知らない人でも、量子論を語ってしまっている(そりゃオイラだ)ことを考えれば、上記の結論が得られるということだけがわかれば、必ずしも不完全性定理の本質を理解する必要はないのかもしれない。しかし上記の結論は、ミステリをいきなり最終章から読んだようなものだ。探偵の言い放つ「この一連の事件の犯人はあなただ、スミス夫人!」という一言で、犯人がスミス夫人であることはわかっても、それだけでは何の意味もない。それと同じで、やはり不完全性定理というものをわかった上で、なぜそんな結論が導き出せるのかを実際に見てほしい。
と言っても、不完全性定理を数学的に厳密に説明することなどは考えていない。あくまで、そのエッセンスだけを(自分自身の勉強、という意味も含めて)述べるつもりだが、それでも1回で書ききれないことは最初からわかっているので、今のところ次のような筋立てを考えている。
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第1部 形式論理の世界
『博士の愛した数式』などによって数学の世界が以前より少し身近なものになりつつあるが、ほとんどの人は現代数学がどのようなものなのかを知らない。不完全性定理とは、数学の中で数学そのものを論じるための定理なので、現代数学がどのように成り立っているのかを知る必要がある。そのキーワードが形式論理である。
第2部 完全性定理と不完全性定理
ゲーデルの大きな業績が、完全性定理と不完全性定理の発見である。完全性定理と不完全性定理──何か矛盾しているように感じるかもしれないが、それはそれぞれの定理にかぶせられた完全性と不完全性の意味が異なるため。ここでは、この二つの定理の意味するものを考えていく。
第3部 不完全性定理から見たシステム
1、2の準備の下に、不完全性定理から、例えば前に述べた医療システムの限界がどのように導かれるのかを述べる。
第4部 不完全性定理を越えて
仮にシステムに本質的な限界が存在するとして、それは回避不能なものか? 実はそうではない。なぜなら、不完全性定理自体が回避不能な限界を持っているから。最後にそれについて述べて、全体のまとめとする。
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ただし、これはあくまで現時点での予定であり、本当にこの通りに進むかどうかはわからない。
では最後に、そもそもゲーデルの不完全性定理とはどういうものか、を書いておかなければならないだろう。我々が目標とする不完全性定理のステートメント(注2)は以下のようなものである。
(注2)これはゲーデルの論文に書かれた補題のオリジナルのステートメントではない。
(不完全性定理1)自然数論を含む述語論理の体系Zは、もし無矛盾ならば形式的に不完全である。
この定理から、以下の定理が導かれる。
(不完全性定理2)Zが無矛盾であるならば、Zの無矛盾性をZの中で証明することはできない。
追記:ここで述べる不完全性定理についての記述は、その多くを『不完全性定理 数学的体系のあゆみ』(野崎昭弘著、ちくま学芸文庫刊)に負っている。
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