深く潜れ(Dive Deep)! キネシオロジー&クラニオセイクラル・ワーク(クラニオ)の蒼穹堂治療室

「ココロとカラダ」再生研究所、蒼穹堂治療室が送る、マニアックなまでに深く濃い、極私的治療論とお役立ち(?)情報の数々。

アニメ『呪術廻戦』第16話

2022-07-25 20:21:51 | 一治療家の視点

今、日曜の夕方にアニメ『呪術廻戦』1期の再放送をやっていることもあり、初見の時にブログ記事にしようとしてできなかったものについて改めて述べたい。それは第16話の中に出てくる。

が、その前に『呪術廻戦』について知らない人のために、ごく短く物語の粗筋を述べておこう。既に物語を知っている人は、ここは飛ばしてよい。

主人公は並外れた身体能力を持つ高校生、虎杖悠仁(いたどり ゆうじ)。その虎杖の通っている高校で呪いの王・両面宿儺(すくな)にまつわる“呪物”の封印が解かれ、宿儺が復活を遂げつつあった。だが、そこで虎杖はとっさにその“呪物”を飲み込んでしまう。本来なら心身を宿儺に乗っ取られてしまうはずが、その力を辛うじて抑え込んだ虎杖は“両面宿儺の器”として生きていくことになる。呪術師の五条悟はそんな虎杖を自らが教鞭をとる東京呪術高専に入学させ、呪術師として鍛え上げることにする。
その呪術高専には姉妹校として京都呪術高専があり、毎年、親睦を兼ねて両校の生徒たちによる交流戦が行われることになっている。だがこの年、京都校は“両面宿儺の器”となった虎杖を危険視し、交流戦を利用して彼の殺害を企てる。そして始まった交流戦。京都校は上からの指示通り、生徒たちは本気で虎杖を殺しにかかるが、京都校随一の実力者、東堂葵は「好みの女のタイプ」が虎杖と完全に一致したことから彼に親近感を抱き、一段上の呪術師として覚醒させるべく教え導こうとする…

…というところから第16話は始まる。

虎杖と肉弾戦を繰り広げる東堂は、虎杖の放つパンチは拳の速さに対して呪力が1テンポ遅れることを指摘した上で、こう語りかける。

では、なぜ呪力が遅れるのか? それは呪力を流しているからだ!(ドンドン←効果音)呪力を流す──多くの術師がこれを意識的に行っている。腹が立つ、はらわたが煮えくりかえる──負の感情から捻出される呪力は、ヘソを起点に全身に流すのがセオリーだ。ヘソから胸を通り、肩、腕、そして拳へと呪力を流す…この体を部位で分ける意識が呪力の遅れを生む! 呪力を流す──これ自体は間違いではない。しかし、それは初歩。その意識に囚われすぎてはいけない。(中略)俺たちは腹でものを考えるか? 頭で怒りを発露できるか? いいか虎杖、俺たちは全身全霊で世界に存在している。当たり前すぎて、みんな忘れてしまったことだ。

この東堂の言葉によって、虎杖は呪術師として急速な進化を遂げるのだが、私もまた初見でこれを聞いた時は、自分の中で何かが変わるのを感じた(マジで)。

では、この東堂の言葉の何が凄いのか?

まずは第1階層。
呪力云々はこのアニメの中での話なのでその部分を除くと、東堂は人体を部位の集まりではなく1個の全体として捉えることの重要性を説いている。これはホロン、ワンネス、ユニティなどとも呼ばれ、スピ系や手技療法、自然療法において根本教義のようなものだ。例えば、手技療法では脈診、舌診といった局所の情報によって全身状態を把握することが行われる。これは「局所の情報は全体の情報と(ほぼ)等しい」という考え方(これをバイオホログラフィ理論などと呼ぶこともある)に基づいたもので、基本的に「全体とは部分の集まりである(つまり、局所の情報によって全体状態を知ることは(ほぼ)できない)」とする西洋医学的な考え方と大きく異なっている。そして、この「全体を1個のものとして捉える」という考え方を持つと、人体を見る視点が大きく広がってくる。そのことが分かるだけでも、この第16話を見る意味はあると思う。

だが、そこで終わりではない。その先に第2階層があるのだ。
上で見た東堂の一連のセリフは、全体として第1階層で述べたようなことを言っているのだが、そのセリフの1つにちょっとだけ言葉を足して抜き出してみる。

俺たちはあらゆる瞬間、全身全霊で世界に存在している。

あのシーンで東堂が述べようとしていたのは、まさにこういうことだったわけだが、実はこの言葉、20世紀最大の哲学者と言われたマルチン・ハイデガーが、その主著『存在と時間』で論じたことの核心に相当するのだ。言い換えれば、東堂のこのセリフが(頭ではなく実感として)理解できれば、ハイデガー思想の核心を捉えたのとほぼ同じ、ということなのである(そして、このセリフによって私が自分の中で何かが変わるのを感じたのも、そのためだ)。

というわけだが、ここまで書いてきたことは『呪術廻戦』第16話のアバン(つまり主題歌が始まる前)の部分の話である。第16話の本編はこの後で、Aパート、Bパートとも見所はたくさんあるが、それはここでは触れない。配信などでも見られるので、興味のある人は実際に見てみてほしい。


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