深く潜れ(Dive Deep)! キネシオロジー&クラニオセイクラル・ワーク(クラニオ)の蒼穹堂治療室

「ココロとカラダ」再生研究所、蒼穹堂治療室が送る、マニアックなまでに深く濃い、極私的治療論とお役立ち(?)情報の数々。

暗黒の宝塚と異形の物語

2018-12-18 20:42:19 | 趣味人的レビュー

月蝕歌劇団はずっと以前からチラシなどを見て知っていたが、なぜか今まで一度も見に行く機会がなかった。12/18、東横線学芸大学駅にほど近い千本桜ホールで、その月蝕歌劇団の舞台『ドグラ・マグラ』を見た。

会場入り口に行くと幟(のぼり)が立っていて、そこには「暗黒の宝塚 月蝕歌劇団」と染め抜かれた文字が。それを見て、何だかつい笑ってしまいそうになる。

この日の14:15の舞台が楽日(最終日)だったためか、平日(月曜日)の昼だというのに会場は満員御礼状態。遅れてきた客は劇団員が既に座っている人を詰めさせて、「はい、じゃあそこに」と座る場所を指定する。劇団員曰く「『全席自由』とうたっていますが、自由はありませんから」。

そして開演前、舞台では別の劇団員が見に来た人に「おみくじ」を売っている。この「おみくじ」は劇団員による手作りで、1回200円。凶や大凶が出ると役者の舞台裏の写真がもらえる、ということで、結構売れている。
これまでいろいろな小劇団の舞台を見てきたが、「おみくじ」を売ってる劇団は初めてだ。これも劇団員が言うには、つい先だって亡くなった月蝕歌劇団の主宰、高取英(えい)は公演のたびに「(おみくじが)売れた?、売れた?」と聞いていたそうだ。

「おみくじ」だけじゃない。月蝕歌劇団は事前に申し込んでおくと終演後に指名した役者とチェキが撮れるのだ。もちろん無料じゃない。800円ならサインなし、1000円ならサインあり。何だか地下アイドルみたい。

で、開演が5分押したため特別に終演後にも「おみくじ」が販売されることになって、さぁ舞台の開幕、開幕~。

通常、『ドグラ・マグラ』は

…………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………。

という時計の音で主人公の少年が目覚めるところから始まるのだが、高取英の脚本による舞台『ドグラ・マグラ』は、冒頭にいきなり「狂人の解放治療場」で起こった惨劇のシーンを持ってくる。これには驚いた。「え、いきなりこのシーン?」と。
けれどこのシーンを見て、考えてみれば『ドグラ・マグラ』はそれ自体が円環構造を持った物語だから、実はどのシーンから始めてもいいのだ、ということに気づいた。


さて、ここでこの舞台の原作である小説『ドグラ・マグラ』について少し述べておく必要があるだろう。
夢野久作の『ドグラ・マグラ』は、小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』、塔晶夫(中井英夫)の『虚無への供物』と並ぶ「日本三大奇書」の1つ。物語は、ある青年「私」に関わる殺人事件について書かれているようなのだが──

「私」は部屋に響く時計の音で目を覚ますが、自分が誰なのか全く思い出せない。隣の部屋からは

「……お兄さま。お兄さま。お兄さまお兄さまお兄さまお兄さまお兄さま。……モウ一度……今のお声を……聞かしてエ――ッ…………」

という少女の声が聞こえる。彼女は「私」の許嫁(いいなづけ)だと言うが、彼女のことも、もちろん記憶にない。
そうこうしているうち、一人の男がやって来る。男は九州帝国大学法医学教授、若林鏡太郎と名乗り、「私」は1ヵ月前に自殺した九大医学部精神病科教授、正木敬之(まさき けいし)のある実験に関わっていたという。また呉(くれ)一郎という青年が二件の殺人事件を起こし、その事件を解く鍵が彼の失われた記憶にある、とも語る。そして「私」は、その呉一郎が自分なのではないかと思い始める。全ては正木が引き起こしたことなのか?
ところが物語は、正木が自身の実験「狂人の解放治療」実現に向けた寄付を募るため、これを唱えて全国を行脚したという「キチガイ地獄外道祭文(さいもん)」やら正木の学位論文やらといった得体の知れない資料を挟んで、死んだはずの正木が「私」の前に姿を現し、若林が「私」に対して行ったペテンについて語り始める、という展開を迎える。全ては若林が「私」を呉一郎に仕立て上げ、正木の研究成果を自分のものにするために仕組んだペテンだったのだ、と。そして正木は「私」に「狂人の解放治療場」を見せるのだが、そこには「私」ソックリな呉一郎の姿が! そこでやおら正木は、「私」と呉一郎との因縁について話し始める。それは古代中国に端を発する長い長い話だった。
けれども「私」は気づいてしまう。

…………何もかも真実であった……虚偽の学術研究でも、捏造の告白でもなかった。しかも、それは初めから終りまで正木博士がタッタ一人で計画して、実行して来た事ばかりであった。
……若林博士は何でもなかったのだ……。
……若林博士は初めから何も知らずに、正木博士の研究の手先に使われていたのだ。

だが、そこに新聞記事が挟み込まれる。それは正木の「狂人の解放治療場」で一人の青年が起こした惨劇に関する記事であり、そこから導かれたものは

……いずれにしても今日の午前中、私が色んな書類を夢中になって読んでいるうちに、若林博士がコッソリと立ち去った後にはこの室の中に誰も居なかったのだ。正木博士も、禿頭の小使も、カステラも、お茶も、絵巻物も、調査書類も、葉巻の煙も何もかも、みんな私の一箇月前の記憶の再現に過ぎないのだ。たった一人で夢遊中の夢遊を繰返していたに過ぎなかったのだ。(中略)
……オオ……若林博士こそ世にも恐ろしい学術の権化なのだ。……精神科学の実験と、法医学の研究とを同時に行っている……。
……極悪人と名探偵とを兼ねている……。

鳴り響く時計の音とともに「私」は意識を失う(そして、その時計が鳴らす最後の音で「私」はまた目覚めるのかもしれない)。
(以上、引用は全て青空文庫『ドグラ・マグラ』より)

──このように『ドグラ・マグラ』は(途中、あほだら経なども入っているが)どの一部分も書かれていることは明確なのに、全体としては一貫した論理の通用しない物語で、ちょうど気づかぬうちに裏と表が入れ替わってしまうメビウスの帯のような構造になっている(それで「読むと気が狂う」といった都市伝説がまことしやかに語られているのだ)。


以前、松本俊夫によって映画化されたものを私も見に行ったが、この複雑怪奇な話が驚くほど綺麗に整理されていて、『ドグラ・マグラ』ってこんな分かりやすい話だったのか、とショックを受けたものだ。

対して高取英による舞台は、映画版のように分かりやすくなく、むしろ『ドグラ・マグラ』の「真相(と思われたこと)が場面ごとに塗り替えられ、何が真相なのかどんどん分からなくなっていく」感じをうまくすくい取っていたように思う。主人公の青年を2人の役者が演じていて、この2人が全く似ていないというのも、この作品が物語として明確な焦点を結ばないのを暗に示しているようで、うまい作りだ。

ただ個人的に残念なのは、「狂人の解放治療場」の場面で始めたのだから、やはり「狂人の解放治療場」の場面で終わらせてほしかったこと。確かに時計の音で終わるのが一番綺麗なのだが、『ドグラ・マグラ』が円環構造を持つ物語であることを考えれば、この舞台はそうあるべきなのだ(ただ、そうしたらこれは驚天動地の問題作となっていただろう)。

最後にYouTubeにアップされている月蝕歌劇団の『ドグラ・マグラ』の動画(20秒くらいのものだが)を添付しておこう。実際の舞台も本当にこの動画の通りである。


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