最近、また腰にビキッと痛みが走ることがあって、それを自分で治療した。主にキネシオロジーを使って「弱さ」を検出し、それを取っていくというのが基本だが、実際のところなかなか痛みが改善しないことも少なくない。今回もそうで、腰痛の症状が長引きそうな不安があった。
そんな時ふと、いつもとは違う順序で「弱さ」を検出することをしてみた。具体的にいうと、私は普段、まず相手の身体空間が実座標空間にあると設定して「弱さ」を検出し、次に複素座標空間、続いて(複素)射影空間にあるというふうに設定を変えながら「弱さ」を検出することを行っている。それで足らない時は上のような設定の変更とは別に、位相そのものの設定を変えて調べることも行う(その辺りのことは、詳しくは過去記事「人体に位相を導入する」、「同2」、「位相空間論を治療に用いる」、「身体をリーマン球面として捉える」などを参照)が、いずれにせよ今までは当たり前のようにそういう順序で調べていた。もちろん何の疑問も抱かず。
だから、その時も別に何か大それた意図があったわけではなく、単なる思いつきというか、ただの偶然でそうしただけだった。が、「弱さ」を検出する順序が違うだけで、その前とやっていることは全く同じなのに、なぜか結果は大きく違い、1回の治療で驚くほど痛みが軽減したのだ。そして、そこで初めて「弱さ」を調べるために設定を変えていくにも、その時々でふさわしい順序があるようだ、ということに気づいた。
その順序をどう決めるか、ということなら、単に「マインドで聞」けばいいだけなので、それ自体、大した手間ではないが、それにしてもこんなことに今まで気づかないで来てしまったとは!
ついこの間、NHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』で藤原竜也が取り上げられていて、彼が師である蜷川幸雄から徹底的に叩き込まれたのが「破壊と創造」だったという。上に述べたことを「破壊と創造」などと呼んではおこがましいが、当たり前だと思っていることに疑問を投げかけることは重要だと思う。「そういうふうに教わったから(注)」、「ずっとそうやってきたから」──何らかのブレイクスルーが起こるのは、そうしたところからかもしれない。
(注)施術の世界には禁忌とされていることもあり、それは遵守する必要がある。
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