1に書いたようないきさつで数学の勉強を始めることになった。今回はその続き。
4月の初め頃からだったと思うが『ガロア理論入門』を読み始めた。途中の練習問題はほとんどすっ飛ばし、とにかく全体を通して読もうとした結果、1回目の通読を終えたのが6月の中旬こと。『ガロア理論入門』自体、本文部分が文庫本で170ページ弱と薄い本だから、ということもあるが、恥ずかしながら、学生時代から今まで数学の専門書を1冊通して読んだのはこの本が初めてじゃないだろうか。
今は飛ばした練習問題なども少しやりつつ読み直して、半分を過ぎたところだが、練習問題をやっているとやっぱりまだ十分理解できていないことを痛感させられる。
また『ガロア』と平行して、これも名著と評価の高いポントリャーギンの『常微分方程式』も読み始めたのだが、学生時代、解析学を思いっきりサボっていたため10ページくらいで先に進むことができなくなってしまい、急遽『解析入門Ⅰ』(東大出版会)を買って、まずそこから始めることにした。ホントに数学科に入り直した感じだ。
ここでちょっと余談。この杉浦光夫の『解析入門Ⅰ』は私が学生だった頃から有名だったけれど、実は読んだことがなかった。今回、初めてこの本を読んでみてわかったが、本当によくできた本だ。そう、読んでいて恐ろしさを感じるくらいよくできた本。(このブログを読んでいる人の中に、そんな人がいるかどうかわからないけれど)これから本格的に数学をやろうと思うなら、この本は外せない。絶対に
さてそれで、数学と治療の関わりの話をするんだった。
まず1つは、数学を始めて改めて「目が悪くなったな~」と思い知らされたこと。乱視の上に遠視が加わって、本を読んでいても文字がキチッとした像を結ばない。数学では添え字がよく使われるが、例えば『ガロア』では文庫本サイズの文字に添え字がついている。それだけでもキツイのだが、その添え字に更に添え字がついているところも少なくなくて、そうなるとその添え字が「1」なのか「i」なのか「t」なのか「l」なのか判別するのがとてもムズカシイ。ある時などは、添え字を読み間違えていたことに気づかず、なぜこんなふうに論理が展開できるのか延々と悩んでいたことがあった。
これではたまらないので、自分で目の治療をしている。1つ試みているのが、ある状況そのものを丸ごとスタックする、シチュエーション・スタック(situation stack)という方法だ。残念ながら、これで視力が劇的に改善したということはまだないが、多少はマシになったような気がする(気のせいか?)。
シチュエーション・スタック自体はかなり広い応用が可能だと考えているので、それを探る意味でも、この目の治療は今後も継続する予定。なお、キネシオロジーにおけるスタックとは何かについては、例えば過去の記事「左肩をケガする 7」を参照されたい。
そして2つ目は、数学そのものが治療ツールとして使えることに気づいたこと。数学をやり始めて3カ月──理論武装はしたものの、しばらくの間は「こんなことして何になるんだろう?」ということがずっと頭の隅にあった。キチンと数学をやるとなれば、それに費やす時間もハンパじゃ済まない。ホントにこんなことしていていいんだろうか、これが全部ムダになったらどうしよう…とか。しかし、3週間ほど前に突然、思ったのだ。
数学とは、この世界の成り立ちとありようを記述する言語だ。だとするなら、それが治療に使えないはずはないじゃないか
と。そして結果は──本当にその通りだった。
私はこれまでテクスチャー・セラピーと呪法セラピーという、適当な名前を付けた2つのセラピーを行ってきたが、数学はこの2つのセラピーの両方の特徴を兼ね備えたものだった。
今なら確信を持って言えるが、数学の本(といっても、数学者の伝記や「数学こぼれ話」の類じゃなく、ちゃんとした専門書ね)を1冊でも読みこなすことができれば、その人はそれだけで非常に強力な治療ツールを手にできることになる。だから4月以降、私は医学書や治療書の類をほとんど開いていない。医学書や治療書なんて読んでるヒマがあったら数学書を読め──というのが今の私だ。
数学がどのように治療ツールとして使えるのかについては、書き出すと長くなるので、後で「治療ツールとしての数学」とかいうタイトルで新たに記事を起こしたいと思う。
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