SNSの弊害は、サービスが広告表示回数の増加を狙っているため、炎上しやすかったり感情的に反応が得られやすいポストがおすすめされたりすること。(ここでいうSNSはもちろんXのことだが)
それが「トレンド」として表示されるため、あたかもその意見や議論が主流かのように一瞬思うが、それは広告表示回数を増加させたいプログラムによって強度が加工がされた意見であって、それがその強度で日本国民や世界の人が思っているわけではないと認識している。
でもそう認識しているのは、ええ大人になってパーソナライズド広告やサービス運営のお金がどこからやってくるか、運営会社は何をしたいかをある程度推測できる大人になったからであって、誰でも触れられる無料のサービスにおいては、そういうことのわからない人や凄く若い人には分からないかもしれない。
それどころか、大人でも「これが世論か」と印象操作されやすい。
「炎上しやすかったり感情的に反応が得られやすいポスト」は割と言葉が乱暴な物が多くて、もしそれを自分の知ってる知り合いがポストしているとしたら結構ひいてしまうかもしれない。
人からの反応が得られやすいポストは承認欲求を高めるのか、乱暴な言葉が市民権を得ているように見える。
朱に交われば赤くなる。
きっともう私の時代から、昔の人から見たら乱暴な言葉は溢れていたであろうし、時代は不可逆なものだから、もっとこの傾向は進むのかもしれない。
当初、超極端な意見や言葉でポストする人も「人間の幅」に慣れるためにはこういうのも見ておくべきかと思ってしばらく運用してみたけれど結局やっぱり特に良いものではなかった。
そういう考えがあるのね、と一瞬は勉強になるものの、その言葉で生きている人の世界はやはり私には合わなかった。
そうありたくないものの情報の収集は、(そうだったそうだった、ここに気をつけないといけなかった)くらいの頻度のほうが良い。毎日触れるべきものではない。
わざわざ自分を不快な環境におくのはある意味、マゾヒスティックだ。
いずれにしても、不快なものはブロックしたりミュートしたり、自分に悪影響を与えそうなものとはとことん距離を置くに限る。
こういう言葉達の中で生きてこざるを得なかったデジタルネイティブ世代は当たり前に自己防御を生態としてナチュラルにできるであろうことが少し羨ましい。
それと同時に余計なお世話だけれど、少し気の毒である。
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