40過ぎた息子の誕生日です。
彼は予定日を10日過ぎて生まれてきた。
夫は近くの観光地で会社の泊りの忘年会だった。
夜9時に「大丈夫か」と電話があった。
ところが午前0時に破水した。タクシーはいくら電話しても通じない。
父は単身赴任で留守、姉は赤ちゃんが居て無理。
婆様が「〇〇(同居の義弟)を起こすのはかわいそうだし・・・」と言った。
エッ!と思った。痛みは無いから自分で運転して行っても良いかと思った。
結局、義弟が婆様と一緒に送ってくれた。入院。
翌朝、婆様が一人で来た。「夫は?」
「今朝連絡したらもう居なかった。言ってもしょうがないし」と言われた。
(本当に連絡した?と今になって思う)
男の子が生まれてホッとした。我が家では男の子を切望していたから。
姉が「女の子だったらどうするつもりだった?」と聞いたほど男児希望だった。
実家に行って静養。
お正月は婚家で過ごすように言われて31日に戻った。母が「正月が済んだら戻してくださいね」と夫に言った。
3日の新年会は普通に立ち働いた。婆様の妹が「腰が張るとか大丈夫かね」と心配してくれた。
4日に実家に戻って1ヶ月検診が済むまで実家で過ごした。
婆様が、「私の時代は3人目の時でも手伝いに来ていた母親は1週間たったから良いねと帰ってしまった」と。
義妹が出産するまで事あるごとにそんなことを言ってた。鈍な私は「へぇ~冷たい親だな」しか思わなかった。
義妹は予定日の1か月前に帰って来てここから会社に行っていた。辞めたのは1週間前だった。
出産後1ヶ月はこちらにいた。
婆様は赤ちゃんの世話はしても家事は一切せず、洗濯・食事の支度、全部私がした。
お祝いに来た親戚に「大変でしょ」と言われると「もう痩せちゃったよ」と言っていた。
痩せたかどうか知らないけど、普通は家事全部やりながら娘・赤ちゃんの面倒を見る。
ずっと赤ちゃんの側にいるだけで、かなり楽だったはずだけど。
立ち合い出産など考えられない時代の話です。
色々思い出すとドツボにはまる。
悪い事ばかりがあった分けではないのに記憶にあるのは嫌な事だけ。
鮮明に覚えている私も執念深い。全部水に流して新しいスタートに立つのだ。
明日は上棟です。準備は整った、がんばろう。