仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

30年前の葵祭の記憶

2010-05-15 23:44:19 | 日々雜感
けふは葵祭の日。

文獻上では欽明天皇の時代から始まつたといふから、葵祭は1500年近く前からあつたことになる。
當時の都は廣義の飛鳥にあつた。
といふことは、天皇家とは關係なく、京都の豪族・鴨氏の祭だつたのだらう。

私はこの祭を1度だけ見たことがある。
1980年5月15日のことだから、もう30年も前のことだ。
大學に入學して京都に住み始めた年で、そろそろ新しい生活にも慣れてきた頃だ。

原付の免許を取つて原付を買ひ、岩倉から東一條まで通つてゐた。
その日は何故か川端通りを通つてゐた。
交通規制があつて、通行止になつてゐた。
たくさんの人が歩道にゐるので、何事があるのかと氣になつて、原付をひいて歩道で待つてゐたら、昔の衣裳を着た行列が近づいてきた。
それが葵祭だつた。
馬に横座りに乘つてゐた女性が目の前を通つた時に、馬が竿立ちになつて女性が落馬した。
幸ひ大したことはなかつたやうだつたが、そのシーンはその夜のニュースで流れてゐた。
私自身はTVを持つてゐなかつたが、その夜は(も)同じ學生アパートの先輩の部屋で麻雀をしてゐて、そこのTVで見たのだつた。

葵祭の行列は、御所を出發し、下鴨神社を經由して上賀茂神社に向かふ。
つまり、大ざつぱに云つて、南から北に向かふのである。
ところが、私の記憶では、行列は私の右から左に進んでいつた。
鴨川を前に見てゐた筈なので、右から左といふと北から南になる。
なんだかへんだ。

氣になつて調べてみたら、 そもそも葵祭の行列は川端通りを通つてゐない
河原町通りを北上してゐる。
をかしいなあ。
ずつと川端通りだとばかり思つてゐた。
どうやら私の記憶違ひらしい。

自分の中では鮮やかな映像となつて殘つてゐるだけに、なんだか氣持ちが惡い。
どうしても河原町通りだつたとは思へないのだ。
それとも、30年前は川端通りを通つてゐたのか。
川端通りを北に向かふ途中だつたとすれば、左側通行なので道の西側にゐたことになる。
鴨川を前にしてといふ部分が勘違ひで、じつは鴨川を背にしてゐたとすれば、行列は右から左に進んでいくので説明はつく。
まあ、いまさら30年も前のことはどうでもいいといへばどうでもいいのだが。

それ以來、京都には5年もゐたのに葵祭は見てゐない。
祇園祭はバイトの歸りに邪魔だなあと思つただけだし、時代祭に至つては一度も見てゐない。
いまから思へばもつたいないことだ。
せつかく京都に住んでゐるのだから、もつと積極的に京都の風物を樂しめば良かつた。
麻雀にうつつを拔かし過ぎてゐたかもしれない。
後悔先に立たずの一例である。




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