仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

【昔の手帳から】 3月4日 (80年:2次試験初日)

2011-03-04 00:59:50 | 昔の手帳から
【1980年】(浪人)

入試2次初日。國語・數學

第一志望大學の2次試驗開始。
母一人子一人の家庭で金錢的に餘裕がないにも關はらず、既に1年浪人。
これでダメなら、もう1年、今度は宅浪して、通へる範圍の國立大學に入るしかない。
もはや後はないと覺悟を決めての1年間だつた。
この日は、その1年間の勝負をつける日。
いやがうへにも氣合が入つた。
初日の科目は、得意な國語と苦手な數學。
共通一次が700點、2次は國語と英語がそれぞれ150點で數學が100點。
合計1100點滿點で、合格ラインは850點前後ではないかと云はれてゐた。
共通一次のアドヴァンテージが多少あるので、數學で4割出來れば、あとは國語7割と英語7割で合格ラインに屆く筈だ。
しかし・・・
ああ、獲らぬタヌキの皮算用。
數學は、短答式の問題が1問解けただけで、文章問題は1問着手したものの、途中まで。
4割どころか、たぶん精々1割5分くらゐしか得點出來てゐないだらう。
國語については得意科目だつたこともあり、思つてゐた以上に良く出來た。
おそらく8割以上は確實だと思ふ。
しかし、當初の豫定より嚴しい状況であることは間違ひない。
これで、翌日の英語では8割以上出來ないと危ないことになつてしまつた。
ホテルに戻つてからどうしてゐたのかは覺えてゐない。
翌日の英語の試驗のために勉強した、なんてことがなかつたことだけは確かだ。
もしかしたら、ペーパーバックの「MISHIMA」なんか讀んでゐたかもしれない。




【1981年】(1囘生)

イワサさんの服を送ること。

イワサさんは私が住んでゐた學生アパートの先輩で、同志社の4囘生。
たぶんこの時までには、もうアパートを引き拂つてゐたのだらう。
でも、なんで私が彼の服を送ることになつたのかは謎だ。
引越の時に服まで手が廻らず、置いたままだつたのかな?
それを、ステレオを安く讓つて貰つた恩に報いるために、私が送つた?
ううむ、よくわからん・・・




【1982年】(2囘生)

麻雀。
カワムラの下宿。


當時の私は、毎日のやうに麻雀をしてゐた。
學習塾と麻雀が、私の活動時間の7割がたを占めてゐたやうに思はれるほど。
カワムラは、C高の同窓生で、同じ大學に通ひ、しかも同じ學習塾で働いてゐた。
高校時代は同じクラスになつたことがなかつたので話をしたこともなかつたが、私が奈良の富雄に行く近鐵電車の中で出會ひ、それがきつかけで同じ塾で働くことになつた。
それ以來、いまに至るまで親しく付き合ひをさせて貰つてゐる。
ここで記されてゐる「麻雀」は、私が住んでゐた學生アパートでしたのか、それともカワムラの下宿でしたのか。
それによつて面子がまつたく異なるのだが、まるで思ひ出せない。




【1983年】(3囘生)

13:00 中央食堂。小村。(レポート)

どうやら、レポート試驗のために、中央食堂で小村と待ち合せたらしい。
小村は、教養部時代に同じクラスだつた男だが、お互ひ專攻が異なる。
3囘生になつて違ふ專攻の者がレポート試驗の情報交換をするなどといふことは普通はあり得ない。
しかし、自慢ぢやないが、私は3囘生になつても、かなり教養の單位を殘してゐた。
といふより、取得した單位のはうが少なかつた。
恐らく小村も同じだつたに違ひない。
私は轉學科をして5囘生を餘儀なくされたが、おぼろげな記憶によれば、卒業式の時に小村に會つた氣がする。
だとすれば、彼は單位が足りなくて留年したか、私と同じく轉學科したかのどちらかだ。
類は友を呼ぶ、といふことか。




【1984年】(4囘生)

10:00 ラブアタック 國文カネシゲ君。
モギ、ヒサヨさんと酒。


カネシゲは、國文專攻の同期。
とは云つても、私は哲學科社會學專攻から文學科國文學專攻に轉學科したため、メンコの數で云へば1つ上になる。
彼は、私が主催してゐた「近現代文學研究會」の同人でもあり、私の數少ない大學の友人でもあつた。
どうやら、その彼が「ラブアタック」といふTV番組に出演し、それが10時にオンエアされたやうだ。

モギはC高の同級生で、豫備校も一緒、大學も同じ、しかも後年、私が入つた會社に彼を誘つて同じ會社の社員にもなつた男。
謂はゆる「腐れ縁」だ。
大學時代も、彼の友人のツテで、同じ學習塾で働くことになつた。
ヒサヨさんはモギの彼女。
1980年10月、私とモギと、たまたま京都に遊びに來てゐたC高同期の連中とで嵐山に行つた。
そこでモギが女子大生に聲をかけたら、その中にヒサヨさんがゐた。
つまり、私は彼らの出會の場に立合つたといふわけだ。
ちなみに、後年、彼らは結婚し、その結婚式で私は司會をつとめた。
そんな彼らだが、じつは一度、別れ話がもちあがつた。
その時、2人は連れだつて私の部屋にやつて來た。
私は2人の話を聽いて、2人を酒に連れ出した。
はつきりしないが、もしかすると、それがこの日のことだつたのかもしれない。





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