夢Ⅱ會の開始が午後7時半。
會社を出たのが6時過ぎ。
復歸後、4日連續して會社に出られたのは初めてのこと。
しかも、ちやんと所定就業時間を全うできた。
自分としては上出來だ。
時間があるので、大阪第4ビルか第3ビルにある筈の喫茶店「スパニョラ」で本を讀まうと思つてゐた。
でも見つからない。
2、3年前に再發見した店なのだが・・・
仕方ないので、新地の「Ryu's Bar」で時間を潰した。
この店は、一昨日行つた2軒目のバー、「Nobu」から暖簾分けをして出來た店。
もうぢき4年目になるとのこと。
時間が經つのは早いものだ。
「スパニョラ」が見つからなかつたお蔭で、10年間解らなかつた店が解つた。
10年前に私が「ラガ・ブーリン」といふアイラモルトのウヰスキーを教へて貰つたバーだ。
それ以來、新地方面で飮む機會がある度に搜してゐたのだが見つからなかつた。
「Ryu's Bar」の若いマスターに、「階段を降りて、地下にある店で、そこのマスターがクレー射撃が得意なんだけど、そんな店を知らないかなあ」と尋ねたら、マスター云はく「それ、たぶんキムラですよ、きつと。射撃が得意だといふのを聞いたことあります。有名な老鋪ですよ」とのこと。
地圖を見せて場所を教へてくれた。
これだけでも、この店に來た甲斐があつたといふものだ。
7時20分に「Ryu's Bar」を出て、「炭でやくねん」へ。
ここが夢Ⅱ會の會場。
みなさんと久しぶりにあへて、嬉しかつた。
でも、第一線で活躍してゐる人達の話を聞くのは私にはまだ早かつたらしく、途中から頭痛がして來た。
それがひどくなつて、スキンヘッドをマッサージしてゐるところを見つけた人がお開きを宣言。
申し譯ない・・・
みんなと店を出て、どうしても「キムラ」に行つてみたくなつた。
「炭でやくねん」から西にわづか50mほどのところ。
看板も何もない。
薄暗い階段を降りて、正面の扉を開けると、そこは時が止つてゐた。
「ああ、ここだ!」
クレー射撃の表彰状もあるし、スコットランドの地圖もある。
10年前は、扉を開けたら、お客は誰もゐなくて、マスターが本を讀んでゐた。
けふもお客は誰もゐない。
昔のままだ。
マスターに10年振りでやうやく搜しあてたといふと、マスターはとても喜んでくれた。
もちろん私を覺えてゐるわけはない。
私の前にゐた客は20年振りに東京から來たお客だつたさうだ。
1962年創業。
今の場所で營業を始めたのが1976年。
それから32年が經つてゐる。
まさに老鋪だ。
店の名刺を頂いたら、正しい名前は「Stad Bar KIMURA」。
注文したのは10年前にここで教へて貰つたアイラモルトの「ラガブーリン」。
一昨日10年振りに逢つた友人と一緒に來た店。
あれから2人ともいろいろあつたが、この店はまるで時間が止つてゐるかのやうに變らない。
タイムスリップしたやうな氣分。
でも、マスターも私も確實に10歳年齡を積んでゐるのだ。
不思議な感じ。
1杯の「ラガブーリン」で、氣が付いたら1時間近くが過ぎてゐた。
勘定をする時に、藥を飮んでゐないことに氣が付いた。
道理で頭が痛くなるわけだ。
水を頂いて藥を飮んだが、時すでに遲し・・・
店を出たのが午前0時5分。
國道2號線に出てタクシーを拾つて、家に歸りついたのが0時40分。
穗高は小屋の中で丸くなつてゐるらしく、姿をみせなかつた。
さて、明日、會社に出られるかどうか。
正直云つて、いまは自信がない。
8時に起こしてくれるやうに嫁はんに頼んだので、その時の状態で判斷しよう。(01:20)
眠れたのは4時頃。
8時に起こして貰つたが動けず、そのまま2度寢。
9時にもう一度起こして貰つたが、同じく動けず3度寢。
さらに10時に聲をかけられ、やうやく10時20分にシュラフから出て、會社に電話。
パーフェクト出勤の一週間を目差してゐたのだが、もろくも崩れ去つてしまつた。
輝いてゐる人とさうでない自分。
この1週間で2度さういふシチュエーションに身を置いたのは、まだ私には刺戟が強過ぎたのかもしれない。(10:30)
午後から、TVで阪神タイガースのキャンプインの模樣を見て、その後うたたね。
2時間ほど眠つたら、頭痛が治つてゐた。
夜は「熱血!タイガース黨」。
トラッキーとラッキーが登場。
藤川球兒の「熱血!キャンプレポート」。
このレポーター、じつは一昨年が今岡、昨年が矢野。
いづれも翌年の成績が良くないのが氣になる。
かういふのを「杞憂」といふのだ。(23:59)
會社を出たのが6時過ぎ。
復歸後、4日連續して會社に出られたのは初めてのこと。
しかも、ちやんと所定就業時間を全うできた。
自分としては上出來だ。
時間があるので、大阪第4ビルか第3ビルにある筈の喫茶店「スパニョラ」で本を讀まうと思つてゐた。
でも見つからない。
2、3年前に再發見した店なのだが・・・
仕方ないので、新地の「Ryu's Bar」で時間を潰した。
この店は、一昨日行つた2軒目のバー、「Nobu」から暖簾分けをして出來た店。
もうぢき4年目になるとのこと。
時間が經つのは早いものだ。
「スパニョラ」が見つからなかつたお蔭で、10年間解らなかつた店が解つた。
10年前に私が「ラガ・ブーリン」といふアイラモルトのウヰスキーを教へて貰つたバーだ。
それ以來、新地方面で飮む機會がある度に搜してゐたのだが見つからなかつた。
「Ryu's Bar」の若いマスターに、「階段を降りて、地下にある店で、そこのマスターがクレー射撃が得意なんだけど、そんな店を知らないかなあ」と尋ねたら、マスター云はく「それ、たぶんキムラですよ、きつと。射撃が得意だといふのを聞いたことあります。有名な老鋪ですよ」とのこと。
地圖を見せて場所を教へてくれた。
これだけでも、この店に來た甲斐があつたといふものだ。
7時20分に「Ryu's Bar」を出て、「炭でやくねん」へ。
ここが夢Ⅱ會の會場。
みなさんと久しぶりにあへて、嬉しかつた。
でも、第一線で活躍してゐる人達の話を聞くのは私にはまだ早かつたらしく、途中から頭痛がして來た。
それがひどくなつて、スキンヘッドをマッサージしてゐるところを見つけた人がお開きを宣言。
申し譯ない・・・
みんなと店を出て、どうしても「キムラ」に行つてみたくなつた。
「炭でやくねん」から西にわづか50mほどのところ。
看板も何もない。
薄暗い階段を降りて、正面の扉を開けると、そこは時が止つてゐた。
「ああ、ここだ!」
クレー射撃の表彰状もあるし、スコットランドの地圖もある。
10年前は、扉を開けたら、お客は誰もゐなくて、マスターが本を讀んでゐた。
けふもお客は誰もゐない。
昔のままだ。
マスターに10年振りでやうやく搜しあてたといふと、マスターはとても喜んでくれた。
もちろん私を覺えてゐるわけはない。
私の前にゐた客は20年振りに東京から來たお客だつたさうだ。
1962年創業。
今の場所で營業を始めたのが1976年。
それから32年が經つてゐる。
まさに老鋪だ。
店の名刺を頂いたら、正しい名前は「Stad Bar KIMURA」。
注文したのは10年前にここで教へて貰つたアイラモルトの「ラガブーリン」。
一昨日10年振りに逢つた友人と一緒に來た店。
あれから2人ともいろいろあつたが、この店はまるで時間が止つてゐるかのやうに變らない。
タイムスリップしたやうな氣分。
でも、マスターも私も確實に10歳年齡を積んでゐるのだ。
不思議な感じ。
1杯の「ラガブーリン」で、氣が付いたら1時間近くが過ぎてゐた。
勘定をする時に、藥を飮んでゐないことに氣が付いた。
道理で頭が痛くなるわけだ。
水を頂いて藥を飮んだが、時すでに遲し・・・
店を出たのが午前0時5分。
國道2號線に出てタクシーを拾つて、家に歸りついたのが0時40分。
穗高は小屋の中で丸くなつてゐるらしく、姿をみせなかつた。
さて、明日、會社に出られるかどうか。
正直云つて、いまは自信がない。
8時に起こしてくれるやうに嫁はんに頼んだので、その時の状態で判斷しよう。(01:20)
眠れたのは4時頃。
8時に起こして貰つたが動けず、そのまま2度寢。
9時にもう一度起こして貰つたが、同じく動けず3度寢。
さらに10時に聲をかけられ、やうやく10時20分にシュラフから出て、會社に電話。
パーフェクト出勤の一週間を目差してゐたのだが、もろくも崩れ去つてしまつた。
輝いてゐる人とさうでない自分。
この1週間で2度さういふシチュエーションに身を置いたのは、まだ私には刺戟が強過ぎたのかもしれない。(10:30)
午後から、TVで阪神タイガースのキャンプインの模樣を見て、その後うたたね。
2時間ほど眠つたら、頭痛が治つてゐた。
夜は「熱血!タイガース黨」。
トラッキーとラッキーが登場。
藤川球兒の「熱血!キャンプレポート」。
このレポーター、じつは一昨年が今岡、昨年が矢野。
いづれも翌年の成績が良くないのが氣になる。
かういふのを「杞憂」といふのだ。(23:59)
メンバーも入れ代わり立ち代わりでしたからね。
私は会の終わりの方は、少し眠くなってしまい、気が付かなくて申し訳ない。
次回は今少しゆっくりほっこり飲みましょう。
まあ、気長に行きましょう。
みなさんの活躍をお聞きするにつけ、我が身の情けなさを思つてしまひ、頭痛がしてしまひました。
むしろ、こちらこそ申し譯ない氣持ちです。
また、のんびりとした氣分で、仕事から離れた話をしながら飮みに行きたいですね。
グルダの「イタリアン・コンチェルト」の話とか。
豆腐を固めるようにゆっくりとね。
みんな仙杖さんが少し元気になって喜んでいましたよ。
のんびりバージョンの次回のお店はどこにしようかな。
今度は福島界隈で行きませうか?
低コレステロールで・・・
まだあったのがすごくうれしかったです。
んで、家の近所にいわゆる「散髪屋」というのがありまして、かれこれ40年近く創業をなさっているんですよ。
そこはウチの地区の集会所に組み込まれていて、地区の役員をずっとしている人です。
土地代とか公認なんだろうなあ。
その散髪屋さんに顔を剃ってもらおうと行きました。
「本日はおわりました」
月曜ならまだしも、昼間も営業してないのか?
ちょいと家の方の戸をたたきました。
営業時間ぐらいおしえれって。
したら推定私より年上の息子さんが出てきて「親二人とも病気で休業しました」
………ちょっと待ったれえええええい(未知やすえ)
とりあえず「休業なら休業と張り紙してください」と言いました。
ご近所がえらいことになりそうだ。
ところで、こちらに関西屋本家「放出鐵工所」というものを作ったと告知しましたっけ?
もしよろしければリンクにも入れてやって下さい。
またかんさいやの別人格サイトです。
そっちは女ですよ(笑)
多重人格のビリーミリガンを笑えないかんさいやの明日はどっちだ?
http://echigoya.odaikansama.com/
まあ、あたりまへといへばあたりまへなのですが・・・
ところが私が週に何囘か通つてゐた所屬學部の建物が新しい現代的なビルになつてゐて、ショック!
寢心地の良い、文化財に指定したいほどの古い建物が姿を消してしまつてゐました。
私の青春は何處へ?
「放出鐵工所」、先日教へて頂きました。
1人3役、ご苦勞樣です。
また、当方も同じくうつを発病しまして、昨年5月から12月まで長期の休暇。この1月より復職したところです。
ブログを拝見したところちょっと無理をされているように感じます。
夜眠れないつらさは私にもよくわかります。
でも、飲み会へ行って遅くなり、翌日休む、
ちょっと甘いのではないでしょうか?
また、回りの皆さんの温かさにも甘えていませんか?
私は復職後はできるだけ以前の生活リズムに戻すべく、まずは『早く寝れるように』、ということを心がけています。
このあたりのことができないと、復活はできないと考えているからです。
いまの仙丈さん、まだそれができていない、っていうか、やろうとする意識が薄いように感じます。
まあ、ゆっくりやっていけばいいんでしょうけど、今日の書き込みを読んでそう感じました。
同じ苦しみを持つ身として、あえて苦言を呈させていただきました。
気にさわったらごめんなさい。
あえて、匿名希望にしたこともあわせてごめんなさい。
お互い、以前の楽しい生活が取り戻せるようがんばりましょう。
ありがたうございます。
甘いとのご指摘、その通りかもしれません。
12月末に復歸して以來、出來るだけ2時迄には眠り8時までには起きようと努力してゐます。
會社に出ると、誰も私に話掛ける人もゐないので、終日默つたままでPCとにらめつこする毎日です。
さうした状況の中で、唯一の樂しみは、かつての仲間たちとの交流なのです。
さいうふ豫定を入れておくと、それを樂しみに生きて行ける自分がゐます。
甘いといはれればその通りだと思ひます。
ただ、こればかりは必要惡、といふより、いまの私の支へなのです。
どうか察してやつて下さいまし。
ご意見ありがたうございました。
今後とも、拙ブログをよろしくお願ひ致します。
また、お互ひ、またトンネルに入らないためにも、無理をしないやうにしませう。