10月23日、マウリツィオ・ポリーニのピアノを聽きにサントリーホールへ。
私にとつて初めてのサントリーホールなので、いろいろ見てみたいと思つて、開場時間の18時半より30分早く着くつもりでホテルを出た。
最寄驛は「六本木1丁目」で、3番出口が近いらしい。
これだけ大人數を收容するホールなのだから、驛を出たらホールへの誘導サインがあるだらうと思つてゐた。
しかし、そんなものはどこを搜してもなく、驛周邊の案内地圖を見てサントリーホールを搜した。
その地圖から判斷すると、サントリーホールへ行くには2つのルートがありさうだった。
ひとつは、出口の目の前にある大きな通り沿ひに進んで、少し歩いたところで右折するルート。
もうひとつは、出口の右後方の細い道を通つて道なりに左折して行くルート。
わかりやすいのは前者だが、距離が短いのは後者の筈。
で、私は後者を選んだのだが・・・
こちらが、その細い道の入り口。
この先はかなり急な坂道になり、街燈も少なくて薄暗い。
左手に子供のための公園が現れ、右前方には超高層マンションが聳える。
どうやら、住宅ゾーンの敷地らしきところに出たやうだ。
やがて道はT字路に突き當つた。
右へ行けば超高層マンションに出てしまひさうなので、左へ進む。
先程の地圖によれば、そろそろ左手にホールが見えて來さうなものなのだが、サインもなく全くわからない。
途方に暮れてゐたら、コンサートに向かふと覺しき男女が右手の道から現れ、左手の小道へと消えて行つた。
もしかすると、彼らの消えた方向にサントリーホールがあるのかもしれない。
さう考へて、私も左手の小道へ。
小道を少し行くと右手に見えてきたのが、これ。
いかにもホールの側壁のやうではないか!
やれやれ、やつと着いたらしい。
安心すると氣持ちに餘裕が出てくる。
この廻廊の美しいこと!
ライトに照された壁の陰翳が、なかなか良い。
などと餘裕をかましてゐたら、今度は入り口がわからない。
どこまで行つても、この美しい壁が續くのだ。
中學生か高校生の男女3人(どうでもいいが男1女2)が座り込んでゐる階段を登つてみたが、上には入り口はない。
引き返して男女3人の脇をすり拔け、左へ降りる階段を辿つた。
すると、目の前の視界が開けて、廣場に飛出した。
やつとゴールイン!
この廣場が「カラヤン廣場」といふヤツだ。
ああ、長い旅路であつた・・・(と云つても10分程だが)
一番上の寫眞が、サントリーホールの入り口。
私が飛出してきたのは、寫眞右手の3本のポールが見える、さらにその右。
どうやら私はホールの後方から、向かつて右側の側壁を廻つて正面に出てきたやうだ。
きつと日中であれば迷ふことなど在り得ないのだらう。
このあと、時間は十分にあつたので、ホール周邊を散策。
ホールに向かつてくる人たちがどこから來るのか探つて見た。
大多數は、ホール正面に向かつて右手、飮食店がテラス席を出してゐる道からやつて來る。
そちらへ歩き、途中で左手に曲ると「スペイン坂」といふ坂に出て、それを少し下つたら大通り。
大通りに出て左手を見れば、そこには3番出口が・・・
なんだよ、3分で來られるぢやねえか!
人口の瀧。
瀧の裏側にテーブル席があるらしい。
オサレである。
飮食店のテラス席。
少し肌寒い夜だつたが、それでもまだオープン・エアが心地好い。
オサレである。
ホールの音響はともかく、ホールの周圍の環境は「シンフォニーホール」など及びもつかないほど整つてゐる。
こんな快適な空間をつくり、ホールを配置したデベはたいしたものだと思ふ。
しかも、それがバブル以前の86年。
詳細プランニングは3~4年前だとして、82~83年か。
今ほどではないにせよ、不況の只中ではなかつたらうか。
民間企業が大きなリスクを背負つて成し遂げた都市再開發事業に、心からの拍手を贈りたい。
<使用カメラ:Canon PowerShot G11>
都心のど眞ん中にお住ひだと文化的な生活が出來て、羨ましい限りです。
著名な音樂家たちは、なかなか大阪まで來てくれなかつたりしますので・・・