【1980年】(1囘生)
16:00~家庭教師
月曜日。
父の葬式などでスキップした分を取り戻すために、本來の時間より1時間半早くスタート。
【1981年】(2囘生)
カット(ムーンボルゾイ)¥2,000
スパゲティ(ノアノア)
獎學生手續
サボリ
火曜日。
この日、髮を切つた。
じつは前年の4月以來、私の髮は一度も切られることなくすくすくと伸びてゐた。
12月に鞍馬でバイトしてゐた時には、一緒に働いてゐたパートのおばさま達に、「ヤマトタケルノミコト」に似てゐるなどと云はれてゐた。
その後、アパートの仲間たちに「ライオン丸」だとか「私の名はゴア」に似てゐると云はれたりもした。
要するにまるで格好よくなかつたといふこと。
そもそも、1980年と云へば、YMOが流行つてゐて、「テクノカット」なるヘアスタイルが巷に溢れてゐたし、サーファーカットなんてのも流行つてゐた。
10年ほど前に流行つてゐた長髮など、前世紀の遺物のやうなものだつた。
さうした世間の冷い視線にもめげず、私の髮は背中から掴めるほどに伸びてゐた。
肩胛骨の下あたりまで伸びてゐたのではなからうか。
多分、最長で40cmほどあつたと思ふ。
赤いメットで赤い單車に乘つて信號待ちをしてゐたら、何を思つたのか單車乘りが横に竝びかけて來て私の顏を覗きこんで來たりすることも何度かあつた。
きつと、女ライダーだと思つたのだらう。
私の顏を見て、即座に目を逸らすのが面白かつた。
7月に入り、さすがに鬱陶しくて堪らなくなつた。
同じアパートの友人、ヤマムラに教へて貰つた「ムーンボルゾイ」といふカットハウスに行つた。
朧な記憶だが、同志社の北のはう、烏丸鞍馬口を東に入つた北側のビルの2階だつたと思ふ。
私が床屋ではなく美容室(美容院)と云はれるところで髮を切つたのは、この時が初めてだつた。
どう致しませうと聞かれて、短くして下さいと云つたら、40cmを20cmにする程度のところに鋏をあてられた。
「もつと短くしてください」
「これ位ですか?」
「もつと短く」
まるで「ローマの休日」のワンシーンみたいだつた。
アパートに戻つて、もう若くないさと言ひ譯はしなかつたが、ヤマムラとひるメシを食べに出かけた。
ヤマムラは雰圍氣のいい喫茶店だとか美味しい店だとかに詳しい。
この時行つたのは、銀閣寺道を銀閣寺に向つて南側にある「ノアノア」。
當時、京都にはスパゲティの旨い店は少なかつたのだが、ここは旨いと評判だつた。
今とは違つて庭がもつと廣く、そこにテーブルが出されてゐて、木陰で食べるスパゲティは絶品だつた。
大學の授業料免除とともに、育英會の獎學生も申し込んでゐた。
ろくに勉強もしないくせにと自分でも思ふ。
でも、考へて見ると、授業を受けてないのだから授業料を免除されてもいい、なんて理屈も。。。
勉強しないヤツだからこそ、學問を獎めてやらうといふ温かい手が差し伸べられる、とか。。。
はい、詭辯です。
【1983年】(4囘生)
17:30 クロダさん
23:15 HにTel 不在 (何故三ノ宮に?忙しい筈なのになあ)
酒宴
木曜日。
枚方の塾では、7月3日、10日、17日と、日曜日に父兄面談をスケジュールしてゐた。
クロダさんは、おそらく日曜日に都合がつかず、この日になつたのだらう。
Hに電話。
ご母堂樣が電話に出て、Hは三ノ宮に行つてまだ歸らないと云ふ。
こんな夜遲くに電話をして本人が出なかつた時が辛い。
ただでさへ電話が苦手なのに、それがご母堂樣ともなると、速攻で電話を切りたくなる。
ともあれ、如才なく應對して電話を終へた。
電話を切つてから、あれ?と思つた。
このところ忙しいから會へないと云つてゐた筈なのに、三ノ宮まで行つてこの時間まで歸つてゐないなんて・・・
私の中に、むくむくと黒雲が湧き上がつた。
續く。
酒宴。
手帳に書かれてゐる順番通りだとすると、23時以降だらう。
といふことは、酒宴の面子はアパートの仲間たち。
ヤマムラ、ヨコタ、ホサカ、ハラダさんあたりかな?
コクボはもう中退してゐたかもしれない。
16:00~家庭教師
月曜日。
父の葬式などでスキップした分を取り戻すために、本來の時間より1時間半早くスタート。
【1981年】(2囘生)
カット(ムーンボルゾイ)¥2,000
スパゲティ(ノアノア)
獎學生手續
サボリ
火曜日。
この日、髮を切つた。
じつは前年の4月以來、私の髮は一度も切られることなくすくすくと伸びてゐた。
12月に鞍馬でバイトしてゐた時には、一緒に働いてゐたパートのおばさま達に、「ヤマトタケルノミコト」に似てゐるなどと云はれてゐた。
その後、アパートの仲間たちに「ライオン丸」だとか「私の名はゴア」に似てゐると云はれたりもした。
要するにまるで格好よくなかつたといふこと。
そもそも、1980年と云へば、YMOが流行つてゐて、「テクノカット」なるヘアスタイルが巷に溢れてゐたし、サーファーカットなんてのも流行つてゐた。
10年ほど前に流行つてゐた長髮など、前世紀の遺物のやうなものだつた。
さうした世間の冷い視線にもめげず、私の髮は背中から掴めるほどに伸びてゐた。
肩胛骨の下あたりまで伸びてゐたのではなからうか。
多分、最長で40cmほどあつたと思ふ。
赤いメットで赤い單車に乘つて信號待ちをしてゐたら、何を思つたのか單車乘りが横に竝びかけて來て私の顏を覗きこんで來たりすることも何度かあつた。
きつと、女ライダーだと思つたのだらう。
私の顏を見て、即座に目を逸らすのが面白かつた。
7月に入り、さすがに鬱陶しくて堪らなくなつた。
同じアパートの友人、ヤマムラに教へて貰つた「ムーンボルゾイ」といふカットハウスに行つた。
朧な記憶だが、同志社の北のはう、烏丸鞍馬口を東に入つた北側のビルの2階だつたと思ふ。
私が床屋ではなく美容室(美容院)と云はれるところで髮を切つたのは、この時が初めてだつた。
どう致しませうと聞かれて、短くして下さいと云つたら、40cmを20cmにする程度のところに鋏をあてられた。
「もつと短くしてください」
「これ位ですか?」
「もつと短く」
まるで「ローマの休日」のワンシーンみたいだつた。
アパートに戻つて、もう若くないさと言ひ譯はしなかつたが、ヤマムラとひるメシを食べに出かけた。
ヤマムラは雰圍氣のいい喫茶店だとか美味しい店だとかに詳しい。
この時行つたのは、銀閣寺道を銀閣寺に向つて南側にある「ノアノア」。
當時、京都にはスパゲティの旨い店は少なかつたのだが、ここは旨いと評判だつた。
今とは違つて庭がもつと廣く、そこにテーブルが出されてゐて、木陰で食べるスパゲティは絶品だつた。
大學の授業料免除とともに、育英會の獎學生も申し込んでゐた。
ろくに勉強もしないくせにと自分でも思ふ。
でも、考へて見ると、授業を受けてないのだから授業料を免除されてもいい、なんて理屈も。。。
勉強しないヤツだからこそ、學問を獎めてやらうといふ温かい手が差し伸べられる、とか。。。
はい、詭辯です。
【1983年】(4囘生)
17:30 クロダさん
23:15 HにTel 不在 (何故三ノ宮に?忙しい筈なのになあ)
酒宴
木曜日。
枚方の塾では、7月3日、10日、17日と、日曜日に父兄面談をスケジュールしてゐた。
クロダさんは、おそらく日曜日に都合がつかず、この日になつたのだらう。
Hに電話。
ご母堂樣が電話に出て、Hは三ノ宮に行つてまだ歸らないと云ふ。
こんな夜遲くに電話をして本人が出なかつた時が辛い。
ただでさへ電話が苦手なのに、それがご母堂樣ともなると、速攻で電話を切りたくなる。
ともあれ、如才なく應對して電話を終へた。
電話を切つてから、あれ?と思つた。
このところ忙しいから會へないと云つてゐた筈なのに、三ノ宮まで行つてこの時間まで歸つてゐないなんて・・・
私の中に、むくむくと黒雲が湧き上がつた。
續く。
酒宴。
手帳に書かれてゐる順番通りだとすると、23時以降だらう。
といふことは、酒宴の面子はアパートの仲間たち。
ヤマムラ、ヨコタ、ホサカ、ハラダさんあたりかな?
コクボはもう中退してゐたかもしれない。
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