【1979年】(浪人)
冬期講習(世界史、地學) 終了
金曜日。
24日からスタートした冬期講習が終つた。
わづか5日間とはいへ、共通一次を半月後に控へてゐる、まさに直前講習だけに、效果大だつたと思ふ。
【1980年】(1囘生)
松本 クサカ到着
カタバミ宅
日曜日。
北アルプス・蝶ヶ岳登山のために前日松本入りし、先乘りしてゐたイチハラとともにカタバミの下宿に泊めて貰つた。
この日のひる、「フォルクス・ラーメン」といふ店で「大日本邪道ソバ」といふのを食べた。
フォルクスワーゲンに引つ掛けた店名だと思はれるが、ラーメンがすでに國民食であることを思へば、ストレートなネーミングだとも云へる。
「大日本邪道ソバ」は、メニューに燦然と輝いてゐた。
興味津々で注文したところ、なんと酒粕スープであつた。
粕汁のなかにラーメンが入つてゐると思つて頂ければよい。
酒好きな私であるから抵抗はなかつたが、微妙といへば微妙な食べ物だ。
ただし、からだが暖まるのは確かで、夏にはあまり食べたくない代物だらう。
數年前、唐松岳に登る際に、松本で途中下車したことがあつた。
「フォルクス・ラーメン」に行かうと思つてタクシーに乘つたら、10年以上前になくなつたと運轉手さんが教へてくれた。
殘念だつた。
クサカが合流した。
カタバミ、イチハラ、私で松本驛まで迎へに行つた。
クサカとは この年の3月に北八ヶ岳に登つてゐた のだが、わづか9ヵ月で5cmは背が伸びてゐた。
髮にはパーマをあててゐて、眞つ赤なダウンジャケットにグリーンのミレーのザック。
なんだかシチーボーイみたい。
早稻田のバンカラかつ質實剛健なイメージを裏切る、軟弱なヤツなのであつた。
夕方、氣象通報を聽いて天氣圖を描き、天氣を檢討した。
大陸からの寒波が上空に居座り、強烈な西高東低の氣壓配置で、おそらく稜線上はかなり荒れるだらうと思はれた。
當初の計畫では山脈の東側から、即ち 須砂渡から三股經由で一氣に稜線まで登る つもりだつたのだが、よりリスクの低い 上高地經由の長塀尾根ルート に計畫を變更した。
このルートであれば、天候が惡ければ上高地で引き返すことが出來る。
冬の上高地もまた乙なものだらうといふことで意見は一致した。
【1981年】(2囘生)
麻雀 (エノサワ、ミサワ、ヨシヤマ) -42 7
月曜日。
歸省した翌日、いきなり麻雀をしてゐる。
面子は高校時代の友人。
どうやら半莊7囘やつて¥1,200ほど負けたらしい。
【1982年】(3囘生)
富雄 冬期講習4日目
15:40 難波 (近鐵 賣店そば)
火曜日。
中3の國語。
授業を終へてから、誰かと難波で待ち合せをしてゐる。
難波なら塾のある富雄から電車で1本なので、出ていきやすい。
しかし、誰と何の爲に待ち合せたのか、まるで思ひ出せない。
【1983年】(4囘生)
17:00 C高 18:00 C驛
風邪
水曜日。
年明け早々の1月3日から、C高山岳部の2年後輩のヌマタと南アルプスの甲斐駒・仙丈に登ることになつてゐた。
この日はおそらくC高山岳部に何かしらの裝備を借りに行つたのだと思ふ。
その1時間後にC驛で誰かと待ち合せ。
驛まで歩いて20分は確實にかかるから、C高にゐたのはわづかに40分程。
なんとも慌ただしいものだ。
C驛で誰と會つたのかは覺えてゐない。
まづ考へられるのは一緒に登るヌマタなのだが、じつはヌマタとは出發前日の1月2日に會つてゐる。
といふことは、この日會つたのはヌマタではない可能性が高い。
ううむ、いつたい誰だつたんだらう・・・
冬期講習(世界史、地學) 終了
金曜日。
24日からスタートした冬期講習が終つた。
わづか5日間とはいへ、共通一次を半月後に控へてゐる、まさに直前講習だけに、效果大だつたと思ふ。
【1980年】(1囘生)
松本 クサカ到着
カタバミ宅
日曜日。
北アルプス・蝶ヶ岳登山のために前日松本入りし、先乘りしてゐたイチハラとともにカタバミの下宿に泊めて貰つた。
この日のひる、「フォルクス・ラーメン」といふ店で「大日本邪道ソバ」といふのを食べた。
フォルクスワーゲンに引つ掛けた店名だと思はれるが、ラーメンがすでに國民食であることを思へば、ストレートなネーミングだとも云へる。
「大日本邪道ソバ」は、メニューに燦然と輝いてゐた。
興味津々で注文したところ、なんと酒粕スープであつた。
粕汁のなかにラーメンが入つてゐると思つて頂ければよい。
酒好きな私であるから抵抗はなかつたが、微妙といへば微妙な食べ物だ。
ただし、からだが暖まるのは確かで、夏にはあまり食べたくない代物だらう。
數年前、唐松岳に登る際に、松本で途中下車したことがあつた。
「フォルクス・ラーメン」に行かうと思つてタクシーに乘つたら、10年以上前になくなつたと運轉手さんが教へてくれた。
殘念だつた。
クサカが合流した。
カタバミ、イチハラ、私で松本驛まで迎へに行つた。
クサカとは この年の3月に北八ヶ岳に登つてゐた のだが、わづか9ヵ月で5cmは背が伸びてゐた。
髮にはパーマをあててゐて、眞つ赤なダウンジャケットにグリーンのミレーのザック。
なんだかシチーボーイみたい。
早稻田のバンカラかつ質實剛健なイメージを裏切る、軟弱なヤツなのであつた。
夕方、氣象通報を聽いて天氣圖を描き、天氣を檢討した。
大陸からの寒波が上空に居座り、強烈な西高東低の氣壓配置で、おそらく稜線上はかなり荒れるだらうと思はれた。
當初の計畫では山脈の東側から、即ち 須砂渡から三股經由で一氣に稜線まで登る つもりだつたのだが、よりリスクの低い 上高地經由の長塀尾根ルート に計畫を變更した。
このルートであれば、天候が惡ければ上高地で引き返すことが出來る。
冬の上高地もまた乙なものだらうといふことで意見は一致した。
【1981年】(2囘生)
麻雀 (エノサワ、ミサワ、ヨシヤマ) -42 7
月曜日。
歸省した翌日、いきなり麻雀をしてゐる。
面子は高校時代の友人。
どうやら半莊7囘やつて¥1,200ほど負けたらしい。
【1982年】(3囘生)
富雄 冬期講習4日目
15:40 難波 (近鐵 賣店そば)
火曜日。
中3の國語。
授業を終へてから、誰かと難波で待ち合せをしてゐる。
難波なら塾のある富雄から電車で1本なので、出ていきやすい。
しかし、誰と何の爲に待ち合せたのか、まるで思ひ出せない。
【1983年】(4囘生)
17:00 C高 18:00 C驛
風邪
水曜日。
年明け早々の1月3日から、C高山岳部の2年後輩のヌマタと南アルプスの甲斐駒・仙丈に登ることになつてゐた。
この日はおそらくC高山岳部に何かしらの裝備を借りに行つたのだと思ふ。
その1時間後にC驛で誰かと待ち合せ。
驛まで歩いて20分は確實にかかるから、C高にゐたのはわづかに40分程。
なんとも慌ただしいものだ。
C驛で誰と會つたのかは覺えてゐない。
まづ考へられるのは一緒に登るヌマタなのだが、じつはヌマタとは出發前日の1月2日に會つてゐる。
といふことは、この日會つたのはヌマタではない可能性が高い。
ううむ、いつたい誰だつたんだらう・・・
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