【1980年】(1囘生)
仙丈タダヨシ死去
家庭教師
水曜日。
父が死んだ。
手帳には、フルネームで書かれてゐる。
父といふ文字はない。
前年、母と父は離婚した。
父は酒を飮んでは暴れ、私も何度か被害を被つた。
船員だつたのだが、船長と喧嘩したと云つては船から降りてゐた。
私が中學に入つて以降は、まるで陸に上つたカッパ状態。
「船乘り」ぢやなくて、「船降り」だな。
私は、かなり前から、母が父と別れることを望んでゐた。
もつと云へば、私は心の中で何度も父を殺してゐた。
晴れて母が父と離婚した時、私は父といふ文字を抹殺した。
それ以來、父は私にとつて「父」ではなく、仙丈タダヨシなのであつた。
この日、母から電話で父の死を知らされた。
自殺だといふ。
家庭教師から歸つて來て、アパートの先輩や友人たちと麻雀をしてゐる時だつた。
自分でも吃驚するほど感情が波立たなかつた。
翌日が通夜で、翌々日が葬式。
とにかく千葉に歸らなくてはならない。
あ、でも、千葉に歸る金がない・・・
麻雀をしてゐた仲間に話したら、先輩のイトウさんが貸してくれた。
その後、どうしたか忘れたけれど、もしかしたらそのまま麻雀を續けたやうな氣がする。
<追記>
思ひ出した。
イトウさんが、
「けふはもうやめよう、仙丈、自分、明日は歸るのやし早く寢たはうがええよ」
と云つて、お開きになつたのだつた。
【1981年】(2囘生)
一周忌
大學サボリ
バイク戻る
授業料免除!
「日本世間噺大系」、「女たちよ」
木曜日。
一周忌といふのかどうか、とにかく父が死んで1年が經つた。
6月22日に單車が故障してゐたのだが、この日、修理が終はつたので取りに行つた。
これで、また自由に出かけることが出來る。
大學にも行けるやうになつたのだが、講義はサボつてゐたらしい。
でも、申請してゐた授業料免除は許可された。
それを確認する爲に大學に行つてゐる筈。
どうせならついでに講義を受ければいいのに。
4コマ目など、ドイツ語中級があつたのだから。
ヤマムラに借りて、伊丹十三の本を2册讀んだ。
彼のエッセイはとても面白い。
どの本にあつたか忘れたが、「目玉燒きの食べ方」について書かれてゐたのが、いまでも印象に殘つてゐる。
【1983年】(4囘生)
亡父命日
父の供養 (Super Nikka)
Hより手紙
ルービンシュタイン
土曜日。
亡父、とある。
父に對して「父」といふ文字を使つてゐる。
時間がたつにつれて、私には父が近しいものに思へて來た。
死んでから近しい思ひなどと云つても仕方ないのだが・・・
ともあれ、生前は父と酒を飮むことはなかつたので、父の供養と稱して、スーパーニッカを買つて來て、ひとりで飮んだ。
もし、彼と酒を飮むことがあつたなら、彼との關係や距離感に變化が現れただらうか。
恩讎を超えて父と子が酒を酌み交す、そんなウェットな状況もまた良きかな?
Hから手紙。
23日、大學へ向ふ途中、須磨の海を見てゐたら急にピカソ展を見に行きたくなり、京都に來てゐたとのこと。
私は塾で不在。
ところが、その日の晩、私はHに電話をかけてゐた。
私のベクトルとHのベクトルが交差する。
かういふ偶然は、戀するものにとつて必然となる。
ピカソ展は6月10日から始まつてゐて、11日には私たちはデートして「細雪」を見てゐた。
その時にピカソ展の話が出てゐたかどうか覺えてゐないが、私は手帳にメモしてゐた位にピカソ展を見に行きたいと思つてゐた。
Hに先を越されてしまつたといふわけだ。
末尾に、八犬傳でも讀んで安らかに暮らせ、と。
やはり、この年、濱田の講座は「八犬傳」だつたのだなあ。
ルービンシュタインのレコードを買つた。
ショパンのポロネーズだつたと思ふ。
スケルツォはリヒテルだし、ワルツはリパッティ、エチュードはポリーニ、プレリュードはアルゲリッチ。
となると、やはりルービンシュタインはポロネーズだらう。
仙丈タダヨシ死去
家庭教師
水曜日。
父が死んだ。
手帳には、フルネームで書かれてゐる。
父といふ文字はない。
前年、母と父は離婚した。
父は酒を飮んでは暴れ、私も何度か被害を被つた。
船員だつたのだが、船長と喧嘩したと云つては船から降りてゐた。
私が中學に入つて以降は、まるで陸に上つたカッパ状態。
「船乘り」ぢやなくて、「船降り」だな。
私は、かなり前から、母が父と別れることを望んでゐた。
もつと云へば、私は心の中で何度も父を殺してゐた。
晴れて母が父と離婚した時、私は父といふ文字を抹殺した。
それ以來、父は私にとつて「父」ではなく、仙丈タダヨシなのであつた。
この日、母から電話で父の死を知らされた。
自殺だといふ。
家庭教師から歸つて來て、アパートの先輩や友人たちと麻雀をしてゐる時だつた。
自分でも吃驚するほど感情が波立たなかつた。
翌日が通夜で、翌々日が葬式。
とにかく千葉に歸らなくてはならない。
あ、でも、千葉に歸る金がない・・・
麻雀をしてゐた仲間に話したら、先輩のイトウさんが貸してくれた。
その後、どうしたか忘れたけれど、もしかしたらそのまま麻雀を續けたやうな氣がする。
<追記>
思ひ出した。
イトウさんが、
「けふはもうやめよう、仙丈、自分、明日は歸るのやし早く寢たはうがええよ」
と云つて、お開きになつたのだつた。
【1981年】(2囘生)
一周忌
大學サボリ
バイク戻る
授業料免除!
「日本世間噺大系」、「女たちよ」
木曜日。
一周忌といふのかどうか、とにかく父が死んで1年が經つた。
6月22日に單車が故障してゐたのだが、この日、修理が終はつたので取りに行つた。
これで、また自由に出かけることが出來る。
大學にも行けるやうになつたのだが、講義はサボつてゐたらしい。
でも、申請してゐた授業料免除は許可された。
それを確認する爲に大學に行つてゐる筈。
どうせならついでに講義を受ければいいのに。
4コマ目など、ドイツ語中級があつたのだから。
ヤマムラに借りて、伊丹十三の本を2册讀んだ。
彼のエッセイはとても面白い。
どの本にあつたか忘れたが、「目玉燒きの食べ方」について書かれてゐたのが、いまでも印象に殘つてゐる。
日本世間噺大系 (新潮文庫) | |
伊丹 十三 | |
新潮社 |
女たちよ! (新潮文庫) | |
伊丹 十三 | |
新潮社 |
【1983年】(4囘生)
亡父命日
父の供養 (Super Nikka)
Hより手紙
ルービンシュタイン
土曜日。
亡父、とある。
父に對して「父」といふ文字を使つてゐる。
時間がたつにつれて、私には父が近しいものに思へて來た。
死んでから近しい思ひなどと云つても仕方ないのだが・・・
ともあれ、生前は父と酒を飮むことはなかつたので、父の供養と稱して、スーパーニッカを買つて來て、ひとりで飮んだ。
もし、彼と酒を飮むことがあつたなら、彼との關係や距離感に變化が現れただらうか。
恩讎を超えて父と子が酒を酌み交す、そんなウェットな状況もまた良きかな?
Hから手紙。
23日、大學へ向ふ途中、須磨の海を見てゐたら急にピカソ展を見に行きたくなり、京都に來てゐたとのこと。
私は塾で不在。
ところが、その日の晩、私はHに電話をかけてゐた。
私のベクトルとHのベクトルが交差する。
かういふ偶然は、戀するものにとつて必然となる。
ピカソ展は6月10日から始まつてゐて、11日には私たちはデートして「細雪」を見てゐた。
その時にピカソ展の話が出てゐたかどうか覺えてゐないが、私は手帳にメモしてゐた位にピカソ展を見に行きたいと思つてゐた。
Hに先を越されてしまつたといふわけだ。
末尾に、八犬傳でも讀んで安らかに暮らせ、と。
やはり、この年、濱田の講座は「八犬傳」だつたのだなあ。
ルービンシュタインのレコードを買つた。
ショパンのポロネーズだつたと思ふ。
スケルツォはリヒテルだし、ワルツはリパッティ、エチュードはポリーニ、プレリュードはアルゲリッチ。
となると、やはりルービンシュタインはポロネーズだらう。
ショパン:ポロネーズ全曲 | |
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