仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

【昔の手帳から】 5月4日 (80年:白山、81年:芦生、83年:白山下山)

2011-05-04 00:17:17 | 昔の手帳から
【1980年】(1囘生)

白山。甚ノ助ヒュッテ 泊。
バテました! スキヤキ


同行者はC高山岳部同期のイチハラ。
イチハラの下宿から野町といふ驛まで歩いた。
野町から鶴來まで電車に乘り、鶴來から市ノ瀬までバス。
市ノ瀬からは登山口の別當出合まで林道を歩く。
天氣は快晴。
5月の山とは思へぬほど暑い。
もしかして、まだフェーン現象が續いてゐたのだらうか。
橋を渡つて、 「砂防新道」 と呼ばれるルートを辿る。
白山の入門ルートらしい。
夏にはかなりの人が登るらしいが、ゴールデンウィークは雪が多くそれなりの裝備も必要となるため、人は少なかつた。

暑かつたからだらうか。
自分のからだとは思へないほどからだが重くなり、2ピッチほど歩くうちに足が上らなくなつてしまつた。
ルート半ばの 甚ノ助ヒュッテ に着いた時には息も絶え絶え。
コーヒーを入れて休憩してゐるうちに上まで登る氣にならなくなつた。
夕食は、なんとスキヤキ。
山でスキヤキなどしたのは初めてだつた。
卵を保護するケースがあるのを知つたのもこの時のこと。
無人小屋ながらも綺麗な小屋で、我々2人の貸切。
擔ぎ上げた酒を飮み、語る。
軟弱な山登りになつてしまつたが、樂しかつた。




【1981年】(2囘生)

芦生
アブラハヤ1匹。フライで釣れた


前日、 芦生の京大演習林 にテントを張つて1泊し、この日は釣り三昧。
釣り三昧と云つても、わたしが釣つたのはアブラハヤ1匹だけ。
そもそも、私は溪流釣りをしたのはこれが初めてのことで、フライフィッシングも初めて。
オオノさんにフライのキャスティングを教へて貰つて、なんとかラインを伸ばせるやうになつた。
でも、狹い澤ではフライは難しい。
何度、背後の樹木にフライを喰はれたことか・・・
この日もう1泊。
大自然の中の焚き火は、火を見つめてゐるだけで落ち着けた。

後年、私はこの時の經驗を活かして、日本古來の「テンカラ釣り」を始めた。
これはフライフィッシングと同樣に毛針を使ふ釣りなのだが、リールを使はないので遠くまで飛ばすことは出來ないが、背後の樹木に毛針を喰はれることが少ない。
いまはもうしてゐないが、振り返つてみると、阪神大震災以降行かなくなつた。
當時は吉野の山奧や兵庫縣の山の中の林道が、崖崩れの恐れがあるとのことでずゐぶん通行止になつたものだつた。




【1982年】(3囘生)

國文休講


火曜日。
國文の講義は、3コマ目が佐竹教授の國文學研究、5コマ目が濱川講師の國文學研究。
當時は「國民の休日」なんてものはなかつたが、祝日に挾まれたこんな日に講義をするやうな教授は國文にはゐなかつた。
休講ぢやなかつたら行つたのか?と訊かれると困るが。




【1983年】(4囘生)

塾 カワムラに代講依頼
殿ヶ池避難小屋 別當出合
快晴


水曜日。
この年は中2Aの英語を擔當してゐたので、カワムラに代講を頼んだ。

C高山岳部同期のイチハラと、前日に 白山 に登頂し、殿ヶ池避難小屋に泊つた。
この日は下山。
前日と同じく快晴で、かなり雪燒けした。
金澤に歸り、イチハラの下宿に泊めて貰つた。





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