仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

【昔の手帳から】 6月10日 (79年:巳ノ戸谷)

2011-06-10 00:53:01 | 昔の手帳から
【1979年】(浪人)

CHSAC 夏山準備山行 奧多摩 巳ノ戸谷


日曜日。

CHSACといふのは、「C High School Alpine Club」の略。
私が適當に決めたのではなくて、私のゐた頃のかなり前に決められてゐた。
さて、私は豫備校に通ふ浪人生なわけだが、この夏、山岳部の夏山合宿に參加することにしてゐた。
合宿では20kgほどの荷物を背負つて澤登りをすることになる。
なまつたカラダでは危ないと思ひ、この準備山行(澤登り山行)に參加した。
例年は丹澤で澤登りをするのだが、この年は奧多摩まで足を伸ばした。
私も初めての山域だ。
同行者は、2年のコヤマ。
彼は2年の中では岩登りが上手だつたので、心配はしてゐなかつた。
さういへば、前年の澤登りでも、私は彼と一緒だつた。
あの時はOBのモリさんと寄(ヤドリキ)澤本流を登つたのだつたつけ。
前日、日原川沿ひに夜の林道を歩き、對岸が 巳ノ戸谷出合 だらうと思はれるところで眠つた。
ドームテントのポールなし。
それを被つて眠るのである。
小雨が降つてはゐたが、存外快適だつた。
朝になり、日原川を渡つて巳ノ戸谷に入谷。
詳細はもう覺えてゐないが、大瀧などいくつかの瀧を除けば、難しい瀧はなかつたと思ふ。
瀧よりも 澤の入口付近と核心部のゴルジュ が記憶に殘つてゐる。
兩岸が切立つてゐて廊下のやうになつてゐる地形をゴルジュといふのだが、ここのゴルジュは規模は小さいながらも面白かつた。
水量によつては大きく高卷くことになるのかもしれないが、私たちは水面下にフットホールドを搜して水際をトラバースした。
こんなコンパクトな澤で、瀧やゴルジュなど、ひと通りの澤の要素を樂しめる澤は貴重だ。
もうひとつ印象的だつたのが、ワサビ田。
澤を利用してワサビを栽培する田んぼがあつたのだ。
ワサビが生えてゐるのを見たのは、それが初めてで、いまのところそれが最後。
澤の出合から少し入つたところや、かなり登つたところなど、いくつかあつた氣がする。
澤をつめて行くと、 鷹ノ巣山の西に伸びる尾根 に突き上げる。
この登りが私にはしんどかつた。
澤登りの技術などは、まだまだ現役諸君に負けるものではなかつたが、この半年で體力は確實に落ちてゐた。
鷹ノ巣山の頂上で、他の澤(水根澤と、あとどこか)に登つたパーティと待ち合せ。
あとは一氣に南に伸びる尾根を下つて奧多摩ダムまで。
なかなか樂しい澤登りが出來た。




【1981年】(2囘生)

塾交通費(5月分) ¥5,900



水曜日。

塾は、小6の理科社會と中3の英語。
5月に9日行つてゐる筈なのだが、¥5,900だと割切れない・・・




【1983年】(4囘生)

ピカソ展 (~7/24) 京都市美術館
D發表豫定
HにTel


金曜日。

ピカソ展が始まつた。
何度か見に行つた筈なので、手帳を調べてみたら、この會期中に3囘見に行つてゐた。

金曜は2コマ目にDD(下村)があつた。
まだドイツ語中級を殘してゐる。
この日は發表する順番が廻つてくる豫定だつたらしい。
果してちやんと發表出來たのだらうか。

翌日、Hとのデート豫定。
電話で待ち合せ場所を決めた。
6月2日以來、9日ぶりのデート。
わくわく。




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