仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

【昔の手帳から】 2月4日 (83年:國文への轉學科許可)

2012-02-04 00:01:00 | 昔の手帳から
【1981年】(1囘生)

10:40~11:30 生物學 (A121)
「人間機會論」(生物學)
14:40~15:30 社會學
「適應」「結合」「目標達成」「社會化」
「交換から社會集團の4つの次元が生じる過程」
「4つの次元とゲマインシャフト、ゲゼルシャフト」

水曜日。

一般教養の試驗。
午前は1コマ目の奧田先生の生物學2、午後は月曜2コマ目の作田先生の社會學。

生物學については一度も出席してゐなかつた。
どのやうな出題だつたか覺えてゐないが、まつたく手のつけやうがなかつたので「人間機會論」といふ論文をデッチあげた。
もちろん、單位は貰へなかつた。

作田先生の社會學は何度か出席した覺えがある。
社會學については高校の頃から多少の興味があり、3囘生には社會學專攻に進んだほど。
出題は上記の3つから1つを選んで論じるといふもの。
私は「4つの次元とゲマインシャフト、ゲゼルシャフト」といふテーマを選んだ。
手帳では「社會學」が丸で圍まれてゐる(上記では下線で表現)ので、單位を貰へたらしい。
教育學の筧田先生 政治學の宮本先生 、社會學の作田先生は單位が安いことで有名な3大巨頭。
この3先生のお蔭で12單位取得。
どうもありがたうございました。




【1983年】(3囘生)

國文への轉科、許可! やつたね!

金曜日。

私は當時、社會學專攻だつたが、このままでは7囘生になるといふ恐れと、そもそも文學部に入學したのは國文に進みたかつたからだといふ原點に立ち返つて、國文學への轉科を希望してゐた。
1月27日には、 國文の主任教授である佐竹先生に電話をしてお願ひし 、その翌日28日には轉學科の願書を提出してゐた。
この日、その許可が下りたといふわけだ。
これで7囘生になるリスクは囘避することが出來た。
そして、自分の興味のある勉強が出來る環境が整つた。
翌年3囘生をもう一度やり直すことにはなるが、そんなことは大した問題ではないと思つてゐた。





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2 コメント

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一般教養の生物学といえば ((まめ)たぬき)
2012-02-04 21:24:13
私は理系向けの生物学を履修しておりました。この講義月曜の1限か2限にあったので、時々実家へ帰省したり
伏見に住んでいた兄のところへ土日に行ってると
六甲での講義に間に合わないので
友人にノートを借りていました。
で、その友人と語学クラスの同じ男子に
「生物学のノート貸して」と言われ
「あれは、Nちゃんのノートだから直接借りれば?」
「いや、Nには頼みたくないから」
というのでしょうがなく貸したことを思い出しました。
たしか3人とも単位はもらえていたような覚えがあります。
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(まめ)たぬき) さん (仙丈)
2012-02-05 08:42:14
本來、大學は學問を學ぶ場である筈なのですが、私は人と人との繋がりの大切さを學びました。
なんて書くとまだカッコイイですが、その實、コバンザメですね。
クラスコンパなどで、マジメでかしこい女の子と仲よくなることが語學や一般教養の單位取得への道。
我ながら情けないと反省してをります。


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