5月4日、北京旅行の最終日。
この日の觀光は、北京最大のラマ教寺院、「雍和宮」だけ。
こちらは、もともと、雍正帝が皇子時代を過ごしたところなのださうだ。
なので、その名前から「雍和宮」。
ちなみに、康煕帝の14番目の皇子だつた雍正帝は、皇位繼承の文書を僞造して皇位についたのだとか。
文書には4番目の皇子が指名されてゐたのに、その上に十を書き加へたらしい。
公文書僞造、同行使、詐欺罪となりさうな話である。
こちらには、巨大な1本の楠から掘り出された大佛がある。
高さ約18mの立像で、大きな目を見開いてゐる。
わびさび的な精神性は藥にしたくともないが、その迫力は凄い。
建物内は撮影禁止だつたので、殘念ながら寫眞はない。
寫眞は建物にかかつてゐた額。
4つの文字で記されてゐる。
漢字の左側がインドの文字だと云つてゐたから、おそらくサンスクリット文字(梵字)なのだらう。
兩側の2つは、聞いたけれど忘れてしまつた。
右端は女眞文字で、左端はイスラム文字だつたかな?
この日の觀光は、北京最大のラマ教寺院、「雍和宮」だけ。
こちらは、もともと、雍正帝が皇子時代を過ごしたところなのださうだ。
なので、その名前から「雍和宮」。
ちなみに、康煕帝の14番目の皇子だつた雍正帝は、皇位繼承の文書を僞造して皇位についたのだとか。
文書には4番目の皇子が指名されてゐたのに、その上に十を書き加へたらしい。
公文書僞造、同行使、詐欺罪となりさうな話である。
こちらには、巨大な1本の楠から掘り出された大佛がある。
高さ約18mの立像で、大きな目を見開いてゐる。
わびさび的な精神性は藥にしたくともないが、その迫力は凄い。
建物内は撮影禁止だつたので、殘念ながら寫眞はない。
寫眞は建物にかかつてゐた額。
4つの文字で記されてゐる。
漢字の左側がインドの文字だと云つてゐたから、おそらくサンスクリット文字(梵字)なのだらう。
兩側の2つは、聞いたけれど忘れてしまつた。
右端は女眞文字で、左端はイスラム文字だつたかな?
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます