「梅原日本学」の梅原猛先生が12日午後4時35分ごろお亡くなりになった。
93歳だった。
梅原猛先生は、私が大学生の頃、講義をしてくださった。
すでに「隠された十字架 法隆寺論」で聖徳太子怨霊説を唱えて異色の哲学者として知られていた。
講座名は忘れてしまったが、「祟神(たたりがみ)の諸相」というレポートを提出して、「優」を頂いたことはいまだに覚えている。
講義もまた異色で、講義の最中に突然、教室の窓から文学部校舎の中庭を見つめて黙り込んでしまうことがあった。
数分してふと我に返った様子で、「すみません、ちょっといま取り組んでいる問題のヒントが頭に浮かんだものですから」と学生たちに言い訳しておられた。
研究者というものは、常住座臥、研究課題のことを考えているものなのだ。
そんなことを教えていただいた。
あれから36年。
思えば、当時の先生はまだ57歳。
なんと今の私よりもお若かったのだ!
あちらに行かれても、先生のこと、研究をお続けになることだろう。
合掌。
93歳だった。
梅原猛先生は、私が大学生の頃、講義をしてくださった。
すでに「隠された十字架 法隆寺論」で聖徳太子怨霊説を唱えて異色の哲学者として知られていた。
講座名は忘れてしまったが、「祟神(たたりがみ)の諸相」というレポートを提出して、「優」を頂いたことはいまだに覚えている。
講義もまた異色で、講義の最中に突然、教室の窓から文学部校舎の中庭を見つめて黙り込んでしまうことがあった。
数分してふと我に返った様子で、「すみません、ちょっといま取り組んでいる問題のヒントが頭に浮かんだものですから」と学生たちに言い訳しておられた。
研究者というものは、常住座臥、研究課題のことを考えているものなのだ。
そんなことを教えていただいた。
あれから36年。
思えば、当時の先生はまだ57歳。
なんと今の私よりもお若かったのだ!
あちらに行かれても、先生のこと、研究をお続けになることだろう。
合掌。
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