仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

【昔の手帳から】 6月2日 (83年:みゅーず → 圓山公園)

2011-06-02 00:34:13 | 昔の手帳から
【1981年】(2囘生)

下宿ヒ4、電氣代4、5 納める
D小寺 缺席


火曜日。

4月分の家賃と4月5月分の電氣代を大家さんに拂つた、といふこと。
といふことは5月分の家賃はまだ、といふことかな?
この大家さんは「無い袖は振れない」といふ言葉の意味を正確に理解してゐる。
京都は概して學生に優しい土地柄なのだが、この大家さんはその中でもピカイチだらう。
私の記憶が確かならば、家賃の支拂ひが3ヵ月分滯つたことがあつた。
でもそれは私が拂へなかつたといふわけではなくて、大家さんが徴集しに來なかつたのだ。
集めに來てくれないとその分を使つてしまふといふ、自分の首を締めるやうなことにもなるので善し惡しだ。

1コマ:文化人類學(米山)
2コマ:英語(酒井幸)
3コマ:DD(吉田)
4コマ:DP(小寺)

なんて充實した時間割なのだらう。
このうちDP(ドイツ語初級)を缺席したといふこと。
ただし、この記述からは、他の講義を受けてゐたかどうかは定かではない。




【1982年】(3囘生)

交通費 ¥190+¥190=¥380 コピー ¥140


水曜日。

塾は小6Aの理社と中1Aの英語。
その交通費と、何かをコピーした代金。
あとで立替へ精算をするためのメモ。




【1983年】(4囘生)

11:00 梅田 12:20 海南堂
みゅーず → 圓山公園 → 枚方
HにTel


木曜日。

前年10月以來、Hとの7度目のデート。
今年の5月以降で3度目なので、どうやら少しづつ「お付き合ひしてゐる」状態になつて來たやうだ。
この日は、初めは梅田で待ち合せてゐたのが、四條での待ち合せに變更になつたらしい。
四條河原町西入ル北側にある本屋「海南堂」での待ち合せ。
本屋での待ち合せは、相手が遲れて來てもイライラしないので、いまでも待ち合せは本屋にすることが多い。
「みゅーず」とはまた懷かしや。
あれ?この時は 「フランソア喫茶室」 だつたやうな氣がしてたのだけど・・・
でも、手帳に書いてあるのだから間違ひないよなあ。
ちなみに、いま調べたら、もう「みゅーず」は無くなつてしまつたらしい。
懷かしい寫眞が掲載されてゐるサイトを見つけたので、リンクを貼つておく。 「京都町喫茶通上ル みゅーず」
この日は圓山公園を歩いてから枚方へ行つたらしい。
手帳には木曜日に塾があるバージョンとないバージョンの2通りの時間割が殘されてゐる。
私の記憶によると、彼女と塾に出かけたことがあつたのは確かなので、さうだとすると17時から小6Aの國語があつた筈。
さうさう、その時の相方はオオモリだつた。
だいぶ思ひ出した。

その晩、塾から歸つて來てからだから、たぶん11時頃だらう。
ちやんとHに電話してゐる。
エライぞ、自分。


82年
10月9日:京都。飮む
12月10日:シンフォニーホール。ヘンデルのメサイヤ
12月24日:梅田。クリスマスイヴ。
83年
2月18日:花房晴美リサイタル。ベートーヴェン:ピアノソナタ第32番ほか。
5月14日:京都。「楢山節考」。
5月26日:大阪城など。(秋田沖地震)








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