お薦め度:☆☆☆☆ /
2006年11月10日読了
いはゆる「邪馬臺國所在地論爭」について著者の結論を簡潔明快にまとめた好著である。
安本美典の結論は、邪馬臺國は筑後川流域の朝倉平野(甘木市)周邊にあつただらうといふもの。
そして、邪馬臺國はその後東遷して大和朝廷となつたといふ。
この結論を支へるのは、彌生時代の人口論であり、邪馬臺國時代の墓制(箱式石棺)であり、鐵矛の分布であり、地名の分布である。
この本を讀むと、邪馬臺國の所在地について論ずるには、「魏志倭人傳」だけをいくら讀込んでも結論は出ないといふことがよくわかる。
そして、邪馬臺國の所在を推測するために必要な考古學的な遺物は何かといふことも。
これを間違ふと、當然のことながら間違つた結論に至つてしまふ。
私はこの本を讀んで、邪馬臺國は筑後川流域にあるといふことが納得できた。
ただし、この本はあくまで安本説のエッセンスを抽出したものなので、精密な論據を求める向きには、ほかの著作をあはせて讀む必要があるだらう。
2006年11月10日読了
いはゆる「邪馬臺國所在地論爭」について著者の結論を簡潔明快にまとめた好著である。
安本美典の結論は、邪馬臺國は筑後川流域の朝倉平野(甘木市)周邊にあつただらうといふもの。
そして、邪馬臺國はその後東遷して大和朝廷となつたといふ。
この結論を支へるのは、彌生時代の人口論であり、邪馬臺國時代の墓制(箱式石棺)であり、鐵矛の分布であり、地名の分布である。
この本を讀むと、邪馬臺國の所在地について論ずるには、「魏志倭人傳」だけをいくら讀込んでも結論は出ないといふことがよくわかる。
そして、邪馬臺國の所在を推測するために必要な考古學的な遺物は何かといふことも。
これを間違ふと、當然のことながら間違つた結論に至つてしまふ。
私はこの本を讀んで、邪馬臺國は筑後川流域にあるといふことが納得できた。
ただし、この本はあくまで安本説のエッセンスを抽出したものなので、精密な論據を求める向きには、ほかの著作をあはせて讀む必要があるだらう。
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