【1981年】(1囘生)
體育。 モギの下宿 イノマタ、イトウさん
月曜日。
3コマ目の體育實技に出席。
まだこの時點では出席日數は足りてゐたらしい。
しかし、結局、翌年も1囘生に混つて體育實技に出席してゐる。
體育が終つてからモギの下宿に寄つたら、イノマタとイトウさんがゐた。
イノマタは建築學科の學生でモギの友人。
彼のお蔭で私は塾講師の仕事につくことが出來た。
イトウさんは、モギの彼女。
80年10月3日 、モギと彼女が出會つた場に私も一緒にゐた。
その時はまさかこの2人が結婚することになるとは思ひもしなかつたが。
【1982年】(2囘生)
京大オケ 京都會館第1H 18:00~
Brahms Sym.2、Schumann P.Con.
朝比奈さんのBrahmsはさすが!
Schumannは冱えない
火曜日。
京都會館第1ホールで京都大學交響樂團の定期演奏會を聽いた。
演奏曲目は、シューマンのピアノ協奏曲とブラームスの交響曲第2番。
指揮は、京都大學交響樂團OBでもあり、大阪フィルハーモニー管絃樂團を設立し音樂總監督を永年勤めた、 朝比奈隆 。
日本を代表する名指揮者だ。
朝比奈隆の指揮は響きが重厚。
シューマンに似合ひさうなものだが、もともときらびやかさの少ない曲をさらに重厚に演奏するものだから、どうも冱えない。
しかし、ブラームスは良かつた。
ブラームスにしては明るい曲調の2番だつたからかもしれないが、朝比奈さんの重厚な指揮が互ひの良いところを引出したのかもしれない。
壯大なブラ1を朝比奈&大フィルで聽いてみたいと思つた。
第130回(1982年1月)
朝比奈隆 客演指揮
ドヴォルザーク 序曲「謝肉祭」
シューマン ピアノ協奏曲 (ピアノ 田中 修二)
ブラームス 交響曲第2番
【1983年】(3囘生)
3 社會學(講義) テスト
4 西谷 倫理(講) 1講
5 藤澤 西哲史(講) 7講
水曜日。
學部の單位を取るために私がまづしたのは、少しでも興味のある講座がればその試驗日程をメモすること。
そこから出席をとつてゐない講座に絞り、さらにその講座をとつてゐる友人を搜す。
そして、その友人からノートを借りて勝負するわけだ。
でも、さうさう條件に當てはまるものは少ない。
この日は、3コマ目に社會學(講義)の試驗があり、當時社會學專攻だつた私にとつては必須だつた。
と云つても、すでに國文に轉學科しようと決めてゐたのだが・・・
4コマ目には西谷教授の倫理學(講義)が第2講義室で、5コマ目には藤澤教授の西洋哲學史が第7講義室で行はれたが、どちらも受けてゐない。
どうやら、この講座は上記の條件に當てはまらなかつたやうだ。
【1984年】(4囘生)
12:00 講師會 OFFSIDE
木曜日。
枚方の塾の講師會。
「OFFSIDE」は、百萬遍交差點を上がつたところにあつた喫茶店。
枚方の塾も講師が増え、中には時間割の關係で顏を合さない講師達もゐた。
なので、時にはかうして講師が集まつて情報共有を圖つてゐた。
體育。 モギの下宿 イノマタ、イトウさん
月曜日。
3コマ目の體育實技に出席。
まだこの時點では出席日數は足りてゐたらしい。
しかし、結局、翌年も1囘生に混つて體育實技に出席してゐる。
體育が終つてからモギの下宿に寄つたら、イノマタとイトウさんがゐた。
イノマタは建築學科の學生でモギの友人。
彼のお蔭で私は塾講師の仕事につくことが出來た。
イトウさんは、モギの彼女。
80年10月3日 、モギと彼女が出會つた場に私も一緒にゐた。
その時はまさかこの2人が結婚することになるとは思ひもしなかつたが。
【1982年】(2囘生)
京大オケ 京都會館第1H 18:00~
Brahms Sym.2、Schumann P.Con.
朝比奈さんのBrahmsはさすが!
Schumannは冱えない
火曜日。
京都會館第1ホールで京都大學交響樂團の定期演奏會を聽いた。
演奏曲目は、シューマンのピアノ協奏曲とブラームスの交響曲第2番。
指揮は、京都大學交響樂團OBでもあり、大阪フィルハーモニー管絃樂團を設立し音樂總監督を永年勤めた、 朝比奈隆 。
日本を代表する名指揮者だ。
朝比奈隆の指揮は響きが重厚。
シューマンに似合ひさうなものだが、もともときらびやかさの少ない曲をさらに重厚に演奏するものだから、どうも冱えない。
しかし、ブラームスは良かつた。
ブラームスにしては明るい曲調の2番だつたからかもしれないが、朝比奈さんの重厚な指揮が互ひの良いところを引出したのかもしれない。
壯大なブラ1を朝比奈&大フィルで聽いてみたいと思つた。
第130回(1982年1月)
朝比奈隆 客演指揮
ドヴォルザーク 序曲「謝肉祭」
シューマン ピアノ協奏曲 (ピアノ 田中 修二)
ブラームス 交響曲第2番
【1983年】(3囘生)
3 社會學(講義) テスト
水曜日。
學部の單位を取るために私がまづしたのは、少しでも興味のある講座がればその試驗日程をメモすること。
そこから出席をとつてゐない講座に絞り、さらにその講座をとつてゐる友人を搜す。
そして、その友人からノートを借りて勝負するわけだ。
でも、さうさう條件に當てはまるものは少ない。
この日は、3コマ目に社會學(講義)の試驗があり、當時社會學專攻だつた私にとつては必須だつた。
と云つても、すでに國文に轉學科しようと決めてゐたのだが・・・
4コマ目には西谷教授の倫理學(講義)が第2講義室で、5コマ目には藤澤教授の西洋哲學史が第7講義室で行はれたが、どちらも受けてゐない。
どうやら、この講座は上記の條件に當てはまらなかつたやうだ。
【1984年】(4囘生)
12:00 講師會 OFFSIDE
木曜日。
枚方の塾の講師會。
「OFFSIDE」は、百萬遍交差點を上がつたところにあつた喫茶店。
枚方の塾も講師が増え、中には時間割の關係で顏を合さない講師達もゐた。
なので、時にはかうして講師が集まつて情報共有を圖つてゐた。
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