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龍閑橋親柱
JR神田駅の南口を出て外堀通りにぶつかったところが竜閑橋の交差点だ。かつて神田区と日本橋区の境となっていた龍閑川は昭和23年(1948)4月に戦災の残土で埋め立てが開始され同25年3月に埋め立てが完了したため橋は必要なくなってしまったが、交差点に名前をとどめている。(菅原健二『川の地図辞典 江戸・東京/23区編(補訂版)』之潮(コレジオ)2010年を参照) 交差点の脇の緑地の中に、取り外された龍閑橋の親柱と橋の一部が保存されている。その遺構の前に黒御影石の碑が建てられていて、表面に説明が彫られている。
竜閑川(りゅうかんがわ)は、東京都中央区および千代田区にかつて存在した河川である。竜閑は龍閑とも書かれる。竜閑川は日本橋川より千代田区と中央区の区界に沿って北東に向かい、東神田付近から直角に折れ、浜町川を経て箱崎川、隅田川へと抜ける人工の堀であった。明治の掘割の際に神田川への流路も掘割されている。
20170429 ツツジ
東京都中央区日本橋本石町
龍閑橋親柱
JR神田駅の南口を出て外堀通りにぶつかったところが竜閑橋の交差点だ。かつて神田区と日本橋区の境となっていた龍閑川は昭和23年(1948)4月に戦災の残土で埋め立てが開始され同25年3月に埋め立てが完了したため橋は必要なくなってしまったが、交差点に名前をとどめている。(菅原健二『川の地図辞典 江戸・東京/23区編(補訂版)』之潮(コレジオ)2010年を参照) 交差点の脇の緑地の中に、取り外された龍閑橋の親柱と橋の一部が保存されている。その遺構の前に黒御影石の碑が建てられていて、表面に説明が彫られている
竜閑川(りゅうかんがわ)は、東京都中央区および千代田区にかつて存在した河川である。竜閑は龍閑とも書かれる。竜閑川は日本橋川より千代田区と中央区の区界に沿って北東に向かい、東神田付近から直角に折れ、浜町川を経て箱崎川、隅田川へと抜ける人工の堀であった。明治の掘割の際に神田川への流路も掘割されている。
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