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洗足池公園
大田区北部に位置する区立洗足池公園は、都内でも有数な大きさの池を有し、桜や紅葉の名所としても広く知られ、季節には近隣はもちろん遠方からも沢山の見物客が訪れ賑わいをみせます。江戸時代には、歌川広重による連作浮世絵「名所江戸百景」の中にも描かれ、古くから景勝地として人々に親しまれていたことがわかります。公園の大半を占める洗足池は、清水窪弁財天をはじめとする湧水を水源としており、かつては周辺の田畑を潤す灌漑用水として利用されていました。池の周辺には「洗足」の名前の由来になったと伝承される日蓮ゆかりの袈裟架けの松がある妙福寺、激動の幕末に活躍した勝海舟の墓などがあります。
洗足池湖畔の勝夫妻の墓
勝海舟と洗足池 勝海舟記念館
幕末、勝海舟は、官軍による江戸城総攻撃回避のため池上本門寺にあった西郷隆盛との会見に出向いた際、立ち寄った洗足池を気に入り、後年、同地に土地を購入し農家風の別荘洗足軒を建設しました。海舟の没後、生前からの希望により洗足池の湖畔に埋葬されました。
残された洗足軒は、大正期に勝家から、東洋思想や仏教思想を普及させる団体として活動していた財団法人 清明会へと譲られ講堂として使用されました。更に隣接した土地を勝家から寄贈されたことから「勝海舟の遺蹟保存及び国民精神涵養のための図書を蒐集し、公衆の閲覧に供えて社会に貢献する」を目的として清明文庫が建設されることになり、昭和3(1928)年に左右対称デザインのネオゴシック基調の講堂兼図書館の建物が竣工。しかし、昭和10(1935)年に清明会は諸事情により活動を休止。残された清明文庫は東京府に寄附され、太平洋戦争後の昭和29(1954)年に株式会社 学習研究社の所有になった際に鳳凰閣と改称されました。
2000年、旧清明文庫(鳳凰閣)は竣工時の意匠や仕様が各所に残されていたことから、国登録有形文化財に登録され大田区の文化財建造物のひとつとなりました。そして、2012年3月、大田区はこの敷地を購入し、同時に建物の寄贈を受けました。現在は、(仮称)勝海舟記念館として利用することが決定し、2019年夏頃のオープンを目指して改修工事が行われています。
なお、海舟の別荘であった洗足軒は太平洋戦争後までは現存していましたが焼失、跡地は大田区立大森第六中学校の敷地になっています。
案内東京-253 洗足池弁財天(厳島神社)
案内東京-252 染谷家具
案内東京-251 代々木八幡宮
「施設案内東京 201~250」
案内東京-250 大勝庵 玉電と郷土の歴史館
「施設案内東京 151~200」
施設案内東京-200 龍子記念館
「施設案内東京 101~150」
施設案内東京-150 深川七福神
「東京施設案内 51~100」
施設案内東京-100 明治大学発祥の地
「東京施設案内 0~50」
施設案内東京-50 丸石ビルディング
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