このブログは「中年おじさんの散策」2の継続版です
20200719 栗橋 像
埼玉県久喜市栗橋東3丁目
顕正寺
開基は、常陸の国幡谷城の城主幡谷信勝である。後に出家し、名を円空と改め天台宗の僧となり光念寺を建立した。1220年頃、親鸞聖人の教えに信順し、唯信の法名を賜り、寺を念仏の道場とした。やがて、寺は兵火により焼失し、16代善了は古河市中田新田の阿弥陀堂に移り、顕正寺と改めた。
1614年、栗橋地区は徳川幕府の命により関所を設け、宿場町になるが、これを命ぜられた池田鴨之介が真宗の信者であったので、善了は鴨之介の招請により、本尊と寺を栗橋宿に移した。その本尊の阿弥陀如来と、池田鴨之介の墓は町の文化財となっている。現在の住職は、28代に当る。
木造阿弥陀如来立像(もくぞうあみだにょらいりゅうぞう)。この像は鎌倉時代の作で、高さ79センチメートル、顕正寺の中央本尊とは別に厨子に安置してあります。 顕正寺の開基である幡谷信勝は常陸国幡谷城主で、出家して親鸞聖人の弟子となり、唯信と名を改め光念寺を建立しました。
埼玉-1039 齋藤修家の花 「ヒルザキ月見草6月」