神田西口商店街
日ごろ商店街活動にご協力をいただきますこと感謝申し上げます。
1996年初めて商店街のホームページを開設してから19年が経過しました。PCの時代からマートフォンへの進化などIT関連の技術進歩は目を見張るものがありあります。今回のリニュアルでは各個店様がお客様に登録されるとお店に近づくとお知らせするタブシステムが新たな機能として追加されています。
是非、ご商売にご利用いただき各個店様の繁栄に繋げていただけましたら幸いです。
神田駅西口商店街と佐竹稲荷の歴史
「神田」は、東京都千代田区の中心、皇居から見て南・北方向に広がり、現在はJR神田駅の西側に広がる一帯です。
これは1590年(天正8年)に、江戸に幕府を開く際、戦略的な重みを考えて、西・北の台地の方向に、有力な大名屋敷を配し、東・南・北の低湿地帯に町家を集めたことに始まります。
東の日本橋から、南・北の神田へは、水運に恵まれ日本橋から鎌倉河岸に至るまで、魚河岸や青物市場が開かれたこともあって、町家(商人・職人)の街(いわゆる下町と呼ばれている)が形づくられていきました。神田・佐竹稲荷神社 佐竹稲荷 もちろん神田と言えば神田明神、武蔵の国の豪族であった平将門を祭神とし、江戸時代には赤坂の山王神社と江戸を二分し、天下祭りと言われて、この頃より全国的に有名となりました。その祭りは2年に1度、そしてその陰の年に、「神田駅西口商店街」では「神田☆秋田湯沢七夕絵どうろうまつり」を催しています。
秋田県佐竹藩は、1600年(慶長5年)の「関ヶ原の戦い」に豊臣側についた為、常陸太田(ほぼ茨城県)の佐竹家が家康の怒りをかい、1602年(慶長7年)転封させられ、爾来、秋田の佐竹候と呼ばれるようになりました。
秋田藩では大館の西家、久保田の東家、角館の北家、湯沢の南家に所領がわかれていました。 1702年(元禄16年)、佐竹南家五代目の当主・義安公に京都の左大臣・鷹司家からお興入れされた姫君が、御年十四歳、せめてこの姫君を七夕の夜にお慰めしたいと、絵どうろうを軒端にかかげたことが、街の人達にも知れ渡り、今日に続く「湯沢の絵どうろうまつり」になりました。
神田駅西口商店街の歴史
神田駅西口商店街は、巾6m、全長300mの間に、お店100店、その中程に、 佐竹稲荷神社が鎮座されています。
この辺りは、1610年(慶長15年)から1682年(天和2年)の大火で焼失するまで、秋田・佐竹藩の江戸上屋敷があったと伝えられています。

神田駅西口商店街アーケード 佐竹稲荷神社では1953年(昭和28年)宗教法人法により包括団体を神社本庁に法人登記し、その祭祀は神田明神の神職が兼務し、其の護持は地元有志に委ねられて、現在は火伏の神様、そして商いの神様として、また神田の守護神として、地域コミュニケーションのシンボルとして、西口商店街のにぎわいの真中に存在しています。
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