私の花散策

いろいろな花を捜し、散策とあわせて歩いて居ます。

花巡り 「桜-その860」 鴻神社 齋藤家 初孫の宮参り

2021-07-11 05:26:26 | 

このブログは 「私の花散策」の続編です。

この企画は 私が引率します sosamu@ya2.so-net.ne.jp

参加したい方はご連絡ください。090-3436-8532 ネットでカルチャー(散策・グルメ)

 

20210222  鴻巣  桜
埼玉県鴻巣市栄町
齋藤家 初孫の宮参り
              鴻神社
 昨年12月に齋藤家にも初孫が誕生した。すぐに会いたいところだったが、コロナの影響で病院での面会もできず、嫁の実家で産後安静にしていた後、居住地である鴻巣に戻ってきた。
 本来宮参りはもう少し早くする物ですが、季節・コロナの影響で3月に「お食い初め」と合わせて実現しました。息子達の居住地の鴻神社が氏子、腹帯も頂いたご縁で、祈祷をしていただきました。桜が咲き始めていましたが、風が強くやや寒い日でしたが無事終了しました。
 お食い初めも「日本料理たつみ・鴻巣市小松1丁目11−37」で行え、両家交えた楽しい時間を過ごさせてもらいました。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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花巡り 「桜-その859」 権現堂提②

2021-07-11 05:23:15 | 

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20210207   幸手 水仙・河津桜
埼玉県幸手市内国府間
    幸手 権現堂提②
 権現堂川は暴れ河川としても恐れられ、宝永元年(1704年)に、はじめて権現堂堤が切れてより、幾度も決壊をしてきました。その被害は遠く江戸にまでおよび、大江戸八百八町の半ばは水浸しになると言われ江戸を守る堤として大切に管理されておりました。
 天明6年(1786年)権現堂堤木立村の破堤により濁流に飲み込まれた村人は、銀杏の大木にすがり避難していましたが、それも根こそぎ流され平野村須賀間に流れ着き無残にも75名という流死者が出てしまいました。このため、現在でも犠牲者の供養が行われております。この後も、幾度にも水害に襲われ、享和2年(1802年)にも、権現堂堤の月の輪堤部分が決壊をし、権現堂村では、80軒の民家が流される被害が出ております。hpより   

 

 

 

 

 

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